「君は神だ☆」と言われましても…

自分の中の神様スイッチ押すブログ

富士山頂のコノハナサクヤヒメに会いに行く! ①

みんなこんばんは!

ニニギミノルです。

 

前回お話したように、

富士山に登ってきました!

 

それなりに覚悟と準備はしてたつもりだけど、

登山初心者にはかなりきつかった~。

でも、山頂で見るご来光は、

一生に一度は見たい光景だったよ!

 

さてさて、

今回の登山の目的はやっぱり、

浅間大社奥宮のご祭神コノハナサクヤヒメに会うため。

なぜかっていうと、

僕が分け御魂を持つニニギノミコトの妻だから。

 

本当は、今年5月に富士宮市にある富士本宮浅間大社

行ったことで済んだはずが、

境内がなんだか寂しくて。。。

 

それで、奥宮がある富士山頂に行くしかない!って流れです。

 

計画当初は初心者向きの吉田ルートから登るつもりでした。

ちなみにルートは4つあります。

 

そしたら、知人から去年富士宮ルートから奥宮に行った話を聴いて、

良く調べると、富士本宮浅間大社から奥宮につながるのが、

富士宮ルートだってわかったから、こっちに変更。

 

新富士駅からバスで富士宮五合目に向かう。

富士山を見ると、

見たことない形の雲!

 

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富士山頂(左)とその右にかかるレンズ雲

 

運転手も乗客も気にも留めないので、

たぶん珍しくないのかな。

 

途中、トイレ休憩に停まったのが、

なんと富士本宮浅間大社の湧玉池!

直感が水を「汲んで持っていけ」って言ってる。

リュックには、空のペットボトルがひとつ。

 

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湧玉池の奥には、水汲み場がある

 

トイレに向かう乗客の流れに反し、

水汲み場に走る。

 

汲みながら、

春に行った時の境内の空しい雰囲気を思い出す。

気になって境内に立ち寄ると、

なんだか雰囲気が良くなってる!

「だれかがなんかしてくれてるんだ!

 ありがとう!」

 

そう思ってたら、

拝殿から雅楽の笛の音が聞こえてくる。

これは歓迎の合図のひとつ!

これでいいんだ!

意気揚々と五合目に到着し、

長い長い登山がスタート。

 

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五合目から見上げる富士山

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所要時間の目安は、初心者にはあてにならない

当日まで体調を整えていったつもりだったけど、

やっぱり8合目付近からは別世界!

リタイヤする人がいるのもわかるわ。

 

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雲海は、刻々と景色を変える

 

それでも、

ここからが奥宮の境内と言われる鳥居を通り、

気持ちを奮い立たせる。

 

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富士宮ルート八合目の鳥居

 

予定を15分ほどすぎて、

 9.5合目の山小屋に到着。

この時点で頭が少し痛いし、呼吸が苦しい。

やばい、高山病の予兆じゃん。

体を休めたいけど、睡眠の質も悪く、

結局ほとんど眠れぬまま、

午前3時に起床。

 

それでも、前日の9.5合目までがんばったので、

気持ちはずいぶん楽だった。

残りは0.5合しかないんだから。

ガイドブックには目安30分と書いてある。

 

ところが、この0.5合分が超きつかった。。

 

最初は5m進んでは

ハ~ハ~と呼吸を整えてたのが、

3m、2m、1mと

どんどん進める距離が短くなる。

呼吸の数は反比例して増えるばかり。

 

東のほうは茜色に染まりだし、

かはたれ時を迎えようとしてる。

「急がなきゃ!」

 

頂上の鳥居の手前にある、

最後の難所の岩場を登り、

やっとの思いで5時11分登頂。

 

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山頂の奥宮に構える鳥居(明るくなってから撮影)

 

奥宮の思いつくところに、

持参したペットボトルの水を撒く。

 

東側の小高い所には

すでに大勢がご来光を待ってるので、

手短に済ませて僕もポイントを探す。

 

きょろきょろとあたりを見回しているとき、

女性の歓声があがる。

 

そして、念願の富士山頂からのご来光を拝む。

 

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伊豆の雲見浅間神社のも良かった。

ハワイのマカプウビーチのも良かった。

沖縄の久高島でみたのも良かった。

 

それでも、

富士山頂のご来光ほど、

神がかったものは初めてだ。

 

遠くに見える朝日は米粒のように小さい。

でも、

その光がもつ威厳、圧力は

僕の体をゆうに通り抜けていく。

まるで僕など存在しないみたいに。

 

その屈服感に、

最初は自分の小ささを知らされる。

 

でもすぐに、

その小さい自分の内側で感じる、

この景色の壮大さに気づく。

 

この単なる紅の発光に、

たとえようのないスケールの神々しさを

持たせているのは、

まぎれもなく自分の感情なのだ。

 

まるで、自分が

横にした砂時計のボトルネックのようだ。

 

目の前の外側の圧倒されるスケールと同じだけ、

内側の感情のスケールがある。

 

ご来光とは、

自分を通して、

外神様と内神様が交流する時間なのだ。

 

その時間には、自分の意識は働かない。

むろん意識を通した感情もだ。

 

ただ無意識に、

何の理由もない涙が頬を伝う。

 

それを陳腐でもあえて表現するとしたら、

「心が洗われる」ということだろう。

 

 

無心の時間がどのくらい過ぎたのか。

なにかを祈りたいと感じる。

 

「世界が平和でありますように」

 

なんどか復唱すると違和感を感じた。

 

目に映るものを美しくも醜くも捉えるのは、

自分の心の在り方ひとつ。

 

だとしたら、

僕らみんなが、自分の心を平和にすれば、

映る現実は平和そのものなのではないだろうか。

 

「僕たちみんなで、世界を平和にします」

 

なんどもそう唱えながら、

富士のご来光を目に焼き付けた。

 

つづく

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ハワイ。のち富士山

みんなこんばんは!

ニニギミノルです。

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今日は、

夏休みに家族でハワイに行った話。

それと明日9月1日から2日にかけて

富士山に登ることにも、

最後に少し触れるね。

ハワイは行ったことある人も多いと思うけど、

僕は初めてだったの。

あんまり興味もなくって、

はじめのうちは断ってたくらい。

でも、

夫かつ父親かつ

運転手かつ執事かつ荷物持ちが

不在の旅行もやはり心配だし。

それで一度、

ハワイで僕はどこに行きたいか想像してみた。

海、ホテル、グルメ、山、星空、

いろいろイメージしたけど、

決定打じゃあない。

最後に火山を想像してみたら、

とたんに身震いして全身に鳥肌が立った。

そして、

なんの感情からかわからない涙が

頰を伝ったの。

それがハワイ行きを決めた理由。

さて、旅の前半はオアフ島

後半はハワイ島ってことで

飛行機と宿だけは予約したけど、

あとは着いてからって言う

ノープランの旅。

オアフ島では車も借りなかったから、

ワイキキあたりで海に行ったり、

買い物したり、観光したり。

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世界有数のリゾート地だし、

ゆったりのんびり

心が軽くなるはずなのに、

初日からどうもイライラしてしまう。

友人から、

「火山の島ハワイなんか行ったら、

怒りが爆発するんじゃない?」って

冗談混じりにおどされたけど、

ズバリ的中!

ダイヤモンドヘッドに登る時、

いよいよ怒りが爆発した。

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知らなかったけど、

あそこも死火山らしいのね。

気を取り直して、

翌日は夜明け前からマカプウ岬へ。

ここにあるヒーリングプールって言われる、

自然にできた岩場の水たまり。

そこに入って朝日を見ると

いいらしいっていう奥さんの情報。

タクシーで着いたはいいけど、

そこからどう進めばいいのか?

あたりはまだ暗くて地理が掴めない。

子供は不機嫌にしゃがみ込む。

次第に空が明るんで来たけど、

現地点では朝日すら見えない。

勘だけで進む方向を決めて、

朝日が見える海辺を探す。

そこで子供が「朝日が見える!」て言うから

海岸線に目をやると、

ちょうど海から日が昇るタイミング!

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しかも、その時立っていた場所こそ、

聞いていたヒーリングプールだったの!

たっぷりの朝日を浴びて、

いよいよハワイ島へ。

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リゾートとして完成されたオアフ島とは違って、

ワイ島大自然が魅力。

僕ら夫婦にはこっちの方が合ってた。

ビーチや滝、ファーマーズマーケットを巡って、

いよいよ本命のキラウエア火山に到着。

ビジターセンターが閉まる1時間前に駆け込んで、

日本語版の地図をゲット。

土産物コーナーをさっとみたときに

イラストのペレと目が合ってまた鳥肌。

やっぱりここで合ってる!

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さっそく車で回るも、

外はガスっていて、

何にも見えない。

半ば諦めながら向かったのは、

キラウエア・イクっていう小さな火山口。

ここは駐車して火山口の中まで

トレイルできるらしい。

サンダル、半袖、子供連れっていう、

ナメた格好だけど、

行けるところまで降りていくことに。

急な山道を降りること15分。

とうとう火山口に到着した!

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ここまできたら、

火山口の反対側の終点まで

行ってみたいのに、

奥さんと子供は道を外れて

ほんのりスチームの昇るポイントへ。

そこでしばらく過ごして

そろそろ戻ろうとしだした時、

厚くかかった雲の隙間から

夕陽が顔を出した!

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しかも後ろには、

歓迎して僕らを囲むように小さな虹が出てる!

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おぼろげだけど、

この情景はハワイの火山をイメージした時と

おんなじだった。

僕らはここへ来ることになってたんだ!

ハワイで湧き出た怒りの感情も

いつのまにか消えていて、

ただ感謝だけで戻ったんだ。

この家族の複雑な偶然が重なって、

僕らにとって最高の体験ができた。

家族と一緒だったからこそ。

いや家族だけじゃない。

自分、大切な人、ご先祖様、

動物、植物、地球、星々、宇宙。

目に見える見えないにかかわらず、

僕らは繋がっている。

そして共に作用し合って、

目の前の現実を作り続けてる。

そのことに改めて感謝する。

さて、冒頭にも言ったけど、

僕は次の昼間には富士山に登りはじめるよ。

ハワイで受け取ったものを循環するために。

木花佐久夜毘売に逢うために。

そして、

2日の朝方には、

山頂からみんなにエネルギーを

送ってみようと思ってる。

ハワイでペレにヒントをもらった気がするんだ。

みんなもぜひ僕にエネルギーを送ってみてほしい。

その時何かを感じるか試してみてほしい。

過ぎてからでも構わないよ。

祈りに未来も過去もない。

ちゃんと届くから。

じゃあ帰ってきたら、

富士山の話をするね。

行ってきます!

心が乱れる時の対処法

みんな、こんばんは!

ニニギミノルです。

 

毎日を、

祈りと、

宣言と、

意識と、

行動で

進んでいても、

やっぱり心が乱れることもあるもんだね。

 

心が乱れた時に、

まず現れるのは、怒りや憎しみや悲しみ

 

出てくるたびに、

なんどもなんども浄化してやっと手放す。

 

次に出てくるのは、

罪悪感、無価値感

 

これもなんども浄化してやっとこさ。

 

次に出てくるのは、

焦燥感。

僕はまだこんなことで!みたいなやつ。

 

これもクリアしていくうちに、

純粋な自分の領域が優勢になってくる。

 

そうすると、

まだ出てくる負の感情があっても、

「チャーンス!」とばかりに前向きに、

手放し浄化できるものを探す。

 

まるで、狩りや宝探しみたいにね。

 

現実に合わせて自分がリアクションするんじゃなく、

アクションした結果を、現実で答え合わせする。

いろんな講演者が、いろんな著者がこう教えてくれる。

 

 

それでも、

心が乱れた時に、

どうしても冷静に対処できず落ちてしまう時。

 

そんな時に試してほしいことがある。

 

落ちていく自分にこう語りかけてほしい。

 

「いまこの瞬間、

どんなことでも意識していいとしたら、

いったい私は何を意識するだろうか。」

 

僕にこう気づかせてくれたのは、

ラムサだ。

 

ラムサとは約3万5千年まえに、

たった一代の生涯でアセンションした

大いなるマスターだ。

 

彼のことは、

ラムサ ホワイトブック

という本で知ることができる。

 

この本との出会いは不思議なものだった。

 

先日、この本を友人から薦められて渡された。

数日後の旅の合間に読もうと仕舞ったその夜、

僕はある夢を見た。

 

心の純粋な老婆が、

僕のほうに走ってくる。

 

傍から見たら少し気のふれたような老婆だが、

ただ魂がピュアなだけだ。

 

僕はこの老婆をとても愛おしく思っていた。

 

僕のほうに駆けてくるその途中で、

老婆は苦しそうに倒れこみ死を迎える。

 

僕は、夢だという意識がありながらも、

老婆の死に悲嘆した。

 

そして、その老婆を名前を叫んだ。

ラムザーーー!」

 

叫びながら僕は誰かに確認する。

僕「昼間手にした本に関係あるなら、

 ラムザじゃなくラムサじゃない?」

 

?「いやラムザで合っている。」

僕「あ、そう」

 

そして、大声で泣き叫んだ。

ラムザ――――!」

 

夢の中での嗚咽のひどさに、

僕は目を覚ました。

もしかしたら、

寝ぼけて叫んでいたのかもしれない。

 

数日後、

僕は沖縄へ向かう飛行機の中で、

ラムサ ホワイトブックを読み始めた。

 

そして、その本の中で、

夢に見た老婆のシーンを目にしたのだ。

 

そのとき僕の全身が鳥肌になったのは、

想像に難しくないと思う。

 

このエピソードで、

この本は出会うべきだったんだと感じ、

以降少しずつ読み進めている。

 

なにせ一文一文の内容が濃くて、

読解するのにとてもボリューミーなのだ。

 

でもそのぶん、

ちゃんと読んでいけば、

真理を学ぶことができる。

 

話を元に戻そう。

先日、心が乱れることがあった夜、

僕は久しぶりにこの本を開いた。

 

何章か読んだあとに、

本を閉じてふとさっき心が乱れたことに

想いをめぐらした時、

こう気づいたんだ。

 

「いまこの瞬間、

どんなことでも意識していいとしたら、

いったい私は何を意識するだろうか。」

 

 

心が乱れたシーンを思い出して、

相手を責めることもできる。

自分の過ちを後悔することもできる。

不運不遇を嘆くこともできる。

自分を罵倒することも。

 

あらゆることに意識を傾けることが

許されたこのいまに、

私はいったい何を意識しよう。

 

そう思ったとき、

心地よい森の風を、

美しい川のせせらぎを、

空と雲の色彩を、

この地球の慈しみを、

意識した。

 

そうしたとたん、

心の乱れは塵になって消えてしまった。

なんと小さい塵だったんだろう、

僕の心を乱したのは。

 

あなたにも自由に意識をめぐらせる自由がある。

その自由が約束されたいまがある。

自由ないまがこれからも毎旬訪れる。

 

何を思うのも自由だ。

何を思って、どのように行動してもいいとしたら、

あなたは何をしたいだろうか。

 

そして、

たったいまも、

あなたはあなたの望んだことを意識している。

どんなネガティブな感情であろうと、

あなたがそれを望んだ。

そのことを忘れてはいけない。

 

さあ、最善のいまを楽しもう。

 

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いま、アセンション山の何合目にいるのか?

みんな、こんばんは!

ニニギミノルです。

 

今日は、

自分の現時点を整理するために、

こんなタイトルにしてみた。

 

『いま、アセンション山の何合目にいるのか?』

 

アセンション山って、

スピリチュアルパスとか、

悟りの道とかを

山に例えてみたやつね。

 

そんな名前の山が実在するわけじゃないよ。

探さないでね。

 

つまり、

霊的な成長によって、

一定のゴールを目指す道っていう意味。

 

それを山に例えて、

その山頂をゴールとしたときに、

自分はいったい何合目くらいにいるのかな?って話。

 

これ、みんなも気にならない?

自分はどれくらい進んでるのか?

あとどれくらいでたどり着けるのか?

 

こんなこと書きだして、

さも自分が結構いい所まで

来てるように見えるかもしれないけど、

そうとう底辺ですから。

まだ麓(ふもと)ですから。

 

自分の歩んでる道の先なんて

どうなってるかまだわからないけど、

スピリチュアルパスって

きっとこんな行程なんだろうなって想像してみる。

 

現実のなかで生きる

疑問・不安・恐れ・焦りなどが度を超す

人生が行き詰まる

現実を超えた世界に足を踏み入れる

新しいメンター、仲間などに属す

確固たる信念を持つ

魂の望む人生を生きる決意と宣言をする

 

僕の場合は、

こんな感じの行程をなぞってきた。

もちろん、一段一段着実に登ってきたわけじゃない。

 

一段上るのに、どれだけの勇気を要したことか。

一段上るのに、どれだけ後退したことか。

一段上るのに、なんど振り出しに戻ったことか。

 

でも、そんなことは人にいうことじゃないね。

こんな思いを経験した人、

こんな思いの最中にいる人。

どうか自分で、

その長い道のりを

その限りない挫折を、

そしてそれを乗り越えて今に立っている事を、

自分で自分を褒めたたえてあげてほしい。

 

自分は本当によくここまで来た。

 

そうして、

僕はアセンションという山を登る決意をしたんだ

でも、

つまりそれは、

まだ登山口をスタートしたわけじゃないことを

意味している。

 

アセンション山を登る決意をして家を出る前なんだ。

この先何度も決意と宣言を撤回するかもしれない。

あるいは、振り出しの現実に戻ることだってある。

 

家を出て、

山へ向かうために電車を乗り継ぎ、

最寄り駅に着く。

 

富士山を想像してほしい。

ルートは4つあり、

それぞれに登山口がある。

そしてその登山口に向かうバスが

出る最寄り駅もそれぞれにあるんだ。

 

登山口まで着いて、

僕は「ここじゃない。」って戻るかもしれない。

 

4つのルートならまだしも、

アセンション山には

数えきれないほどのルートがある。

 

なんども失敗するかもしれない。

しかし、

そのぶん自分のルートと登山口を

確信した時には、

必ずそれが分かる。

武者震いをする。

雄たけびをあげる。

 

「僕はこの道を登りたいんだ!」って。

 

その確信がない今の僕は、

つまりはまだ山を登り始めていない。

 

そのことを、

この記事を書き進めながら気づいた。

でもね、そんなにショックは感じない。

 

自分の望む道を、

自分の望む時間をかけて、

自分の望む感じ方で、

ここまでたどり着いている。

 

そしてそれを自分で讃えている。

 

だから、この先まだ果て無く続く道だろうと、

きっと僕はたどり着く。

 

アセンションという頂きにきっと立っている。

 

もし、

いま僕に視えた直感を信じるならば、

それは5年先のことになる。

 

とんでもなく不可能な期限に思うけど、

僕と僕の周りで起こっている動きに照らすと、

あながち不自然な数字でもない。

 

この記事の読者が、

アセンション山の頂で

僕を出迎えれくれるのか、

あるいは僕が出迎えるのか、

わからないけど、

 

その頂から見える景色を

風を、鼓動を、空気を、

共感できることが、

いまから楽しみでならない。

 

波乱の夏至を終えて

みんな、こんばんは!

ニニギミノルです。

 

6月の満月から夏至にかけて、

なんかすごく動いたような気がするの、

僕だけじゃないと思う。

 

例えば、喜怒哀楽なんかの感情が

激しくなったり、

物理的な移動や人に会うことが多くて、

その土地や人のエネルギーを

たくさん浴びたり。

 

もしかしたら、

これまでの観念が崩壊するような、

ショッキングなことが

起こった人もいるかもね。

 

いい事でも、悪い事でも、

とにかく動いた夏至だった。

 

僕の周りでも、

大きく動いた人がいて、

それが前にも話した奈良の饒速日命だったんだ。

その話は、

niniginomikoto.hatenablog.com

を見てね。

 

SNSで彼の様子を見ていても、

怒りやら感謝やらいろんな感情が見て取れて、

とてもカオスに感じてたんだ。

 

でも真実は、

彼をそのように見ている自分の見方

つまり思考が、

同じ周波数なだけなんだけどね。

 

なんど意識しても、

なんど思考を修正しても、

見える世界がそのまま

存在してるんじゃなくて、

自分の意識を通した世界が

広がっていることを忘れてしまう。

 

それで、

夏至も終わって

感情の起伏もなじんだ先日に、

奈良まで彼に会いに行ってきたんだ。

 

農業を営む彼らの助けになればと

農事用のフル装備で向かうも、

あいにく奈良の天気は雨。

 

饒速日命の彼もどうやら今日は

仕事をする気がないみたいだ。

 

作業を手伝いに行くと言って来たものの、

彼も僕も本当の目的は

ゆっくり話す事だったんだね。

 

田んぼが見える納屋の軒に腰掛けて、

会ってない間のたがいの近況を報告しあった。

 

彼の話に気づかされることも多く、

また彼の話に対する僕の見解で、

彼も改めて気づくことがあったようだ。

 

並木さんが言っていたように、

饒速日命邇邇芸命が分け御魂だというのが

とてもしっくり来る。

 

目の前の分け御魂を見ながら、

自分に気づき、自分を取り戻していく。

そんな至福の時間を過ごすことができた。

 

彼いわく、

目前の田んぼに植えているのは、

十種之神丹穂の材料になる

十種の稲穂らしい。

 

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僕はこの田んぼで収穫された稲穂をもって、

今年の11月に高千穂に天孫降臨しに行くのだ。

 

納屋の軒下で過ごす

ゆったりとした時間のなかで、

この9か月ほどで起こった

いろんな出来事を振り返る。

 

何かが起こるたびに

意識は拡大し、

浄化を進めるたびに

波動は軽くなる。

 

想えば、

真っ暗闇だった僕の人生も、

(そう思ってただけだけどね)

少しずつ夜が明けてきたのだ。

 

でも、今日の雨のように

大きく雲がかかって

それ以上の光を得ることはできなかった。

 

それでもあきらめずに、

自分を信じて、

人を信じて、

心を開くように努めてきた。

 

どんな曇天であっても、

その向こうには

光り輝く太陽があることは知っている。

 

そして、

いまやっと、

あともう少しで

太陽が出ようとしている。

 

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9か月前には

想像もしていなかった未来を、

いま現実として体験している。

 

自分の価値観や想像なんて、

そんなちっぽけなもんなんだ。

 

彼が案内してくれた益田岩船が、

そう言って僕をからかっているようだ。

 

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こんな岩を見せられたら、

自分の思考が

どれだけ窮屈かと

受け止めざるを得ない。

 

この記事を見ているあなただって、

もしかしたら僕と一緒に

天孫降臨しているかもしれないよ。

 

なんせ降臨に参列した神様は、

十人(柱)くらいはいたみたいだから。

 

無限の可能性で、

今を飛び越えよう!

 

 

夏至の沖縄で僕を待っていたこと

みんな、こんばんは!

ニニギミノルです。

 

今回の夏至にかけて沖縄に行ったんだけど、

今日はそこであった体験を話します。

いつもの倍くらいの文字数になっちゃった 汗

 

 

以前、僕が瓊瓊杵尊だって

告げた友人夫婦のHちゃんYちゃんたちが、

今回の夏至に沖縄でご神事をするって

啓示を受けていたんだ。

 

その沖縄の旅に僕を誘ってくれていたんだけど、

迷ったすえに行くことにしたの。

 

僕は仕事の都合もあって、

正確には夏至の前日まで3日間だけ

ご一緒させてもらうって予定。

 

そしたら、

僕のいる間に僕を含めて行うご神事

啓示があったっていうから、

嬉しいやら怖いやら。

 

ご神事の内容は当日確認するってことで、

まずは目的地まで向かったの。

 

沖縄には10年以上前に一度、

妻と行ったことがあるんだけど、

ご神事のために行く今回の旅は、

見える景色も感じることも全然違った。

 

空港で僕らを迎えてくれたのは、

HちゃんYちゃん夫婦の

ライトワーク仲間で沖縄在住のIくん。

 

彼は猿田彦の分け御霊を持ってるって

聞かされてたんだけど、

猿田彦の猛々しさとは打って変わって、

おとなしく小柄な青年だった。

 

彼の車で必要な買い出しを済ませて

いよいよ今回ご神事を行うエリアに。

 

案内してもらって知ったんだけど、

沖縄には御嶽とかいろんな聖地っていうのが

あるんだね。

 

その日のうちにいくつかの聖地を

案内してもらいながら、

彼らがこれまでにしてきたライトワークを

教えてもらった。

 

話に出てくる聖地には、

沖縄だけじゃなく本州の聖地も含まれていて、

僕の別の友人がライトワークをした場所も

含まれていた。

 

きっと日本中いや、

世界中のいたるところで

知ってか知らずか

ライトワークをしている人が

たくさんいて、

僕たちのいまの現実が存在するんだと思うと、

感謝と申し訳なさの混じった

複雑な思いになる。

 

この日は、まわった聖地のいくつかで

明日以降に行うご神事の内容を、

Yちゃんが神様に確認して宿に戻った。

 

宿で食事を摂りながら、

IくんとHちゃんYちゃんは、

前回のご神事以降のお互いの情報を

共有しあっていた。

そして僕もまるでずっと同じ仲間だったかのように、

話を聞いたり、自分の話をして夜が更けた。

 

話も尽きたころYちゃんがおもむろに、

「じゃあ、そろそろ浄化しようか」と切り出した。

 

他の2人は待っていたように

準備を始めるので、

どうやらご神事の前の恒例行事らしい。

 

ご神事に向けて、

なるべく自分たちの波動を上げておくのが

いいらしいのだ。

 

僕は見様見真似でそこに混じって

浄化を体験した。

 

彼らの行う浄化は、

エッセンスを使って行うのだが、

エッセンスの効果か、

あるいはグループの効果か、

僕はこの旅で一番印象に残るほど

大きな浄化を体験させてもらった。

 

翌日になると、

啓示を受けていたとおりの

場所と時間に集まり、

もう一度Yちゃんが

ご神事の細かな内容を確認した。

 

今回のご神事では、

国之常立神の鎮座する場所を

更新することが目的のようだった。

 

Yちゃんが降ろしてきた情報の通りに

ご神事を行い、

無事に国之常立神

鎮座させることができた(らしい)。

 

帰りにまたいくつか聖地を

案内してもらった。

 

そのうちひとつの御嶽に行ったとき、

Yちゃんが僕のほうを振り返って言った。

 

Yちゃん「ミノルくん、なんか感じない?」

僕   「聖地らしい厳粛な雰囲気は感じるけど?」

Yちゃん「ミノルくん、呼ばれてるよ」

僕   「えっ!?僕が?」

Yちゃん「ミノルくんだけみたいだから行ってきて。」

 

というわけで、

僕ひとりで御嶽の奥まで行くことになった。

 

人が行き来したあとはあるものの、

まるでトトロの森までの

草のトンネルを抜けるようで、

妙にドキドキする。

 

なんとなくこっちだろうなという

直感に任せて道なき道を進む。

 

直感のトレーニングをしておいて

ほんとによかったと、

この時はつくづく思った。

 

進んだ先に、

参拝対象になっているような

岩が現れた。

振り返ってももう、

Yちゃんたちの姿は見えない。

 

岩とも石ともいえるような

大きさのそれは、

他にもゴロゴロとあって

どれが参拝対象なのかはっきりしない。

 

これだと思うものをひとつ決め、

座り込んで手を合わせる。

 

何かが聞こえるか、見えるか、わかるか、

思考をゼロにしながら最大限に集中する。

 

数秒か数分か、

耳の周りを飛ぶ不愉快な蚊の音が

聞こえなくなったころに、

それは起こった。

 

「・・・・・自覚せよ。」

 

だめだ。

集中がまだ足りない。

まるで、

ラジオのダイヤルを少しずつ回し

ノイズがなくなるポイントを見つけるように

微妙なチューニングを続ける。

 

「この地に降臨した者であることを自覚せよ」

 

やった。チャンネルがぴったり合った。

 

僕「何をすればいいですか?」

岩「手で私に触れなさい」

僕「はい。次は?」

岩「『この御嶽の神の力を我に与えたまえ』と3回唱えなさい」

 

僕は、この会話を頭のどこかで疑いながらも、

そのとおりに行った。

 

それが終わっても、

別段なにを得た感覚もないまま、

もう何も聞こえないので

その場をあとにした。

 

「なにか受け取った?」

戻ってくるなりYちゃんが

にっこりしながら聞いてくる。

 

まるで一部始終を見ていたかのような

その質問に驚いたが、

すぐにはうまく説明できず、

とりあえず宿に戻ることにした。

 

部屋に座るとすぐに話をした。

だが、肝心の誰から何を受け取ったのかは

当の本人もわかってない。

オチのない話をきいたように

みんなきょとんとしている。

 

しびれを切らしたYちゃんが、

神様に確認してくれることになった。

 

国之常立神から受け取ったみたいね。

 あれ、でも違うとこに鎮座してもらったのにね。

 ここにも居るんだ。

 ええっと、受け取ったのは、

 これくらいの光る水晶玉だって。」

 

と、ソフトボールくらいの大きさを示してくれた。

 

国之常立神から受け取った水晶玉で、

僕は何をするっていうのだろう?

と、考えているとちゃんとそれも聞いてくれた。

 

「これからこういうご神事するときと、

 人にミノルくんがお役目を務めるときに

 使うらしいよ。

 お役目っていうのは、

 その人を目覚めさせることだって。

 

いつ聞いても、

Yちゃんのチャネリングの精度は見事だ。

 

ご神事はともかく、

人を目覚めさせるっていったい。。。

 

そんな新たな疑問を手土産に、

僕は3日間の沖縄ご神事ツアーから帰宅した。

 

数日後、

お店に常連の女性客がひとりで来店した。

 

僕の奥さんのママ友でもあり、

僕も面識がある彼女が

席に座るとおもむろに

僕にこう質問した。

 

「ミノルさんって視えるんですか?」

 

どうやら、

ぼくがインドへ行った話を誰かに聞いたらしい。

 

視えるなんてほど立派なものではないこと、

そしてインドからつい数日前の沖縄の話、

人を目覚めさせるお役目について話した。

 

すると、黙って聞いていた彼女が

突然こう言い放った。

 

彼女「5年後に教育の現場で活動するんですって

僕 「へっ?」

彼女「あっ、少し早めることもできるみたいですよ」

 

どうやら彼女、

この辺では名の知れたチャネラーらしい。

あとで奥さんに確認したら、

その事実を僕が知らなかったことに驚いていた。

 

どうやら僕は、

五年後かあるいはもう少し早い将来、

国之常立神から授かった水晶玉を使って、

教育現場で人の目覚めを手助けするらしい。

 

あまりに短期間で盛りだくさんの体験が起きた。

とりあえずこのことはしばらくそっとしておこうと思う。

 

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よかったら、

下記の祈りを一日一回でも

唱えてみて!

神様スイッチが入る手助けになるよ。

 

『私は、私という神を愛しています』

神社を参る意味

みんな、おはよう!

ニニギミノルです。

 

『私は、私という神を愛しています』

 

なんだ?このフレーズは?

このブログやべーな。汗

って思った人は、

niniginomikoto.hatenablog.com

も読んでください。

 

今日お話しするのは、

先週月曜日の満月の日に、

たくさん神社を巡った話です。

 

伊勢神宮の別宮である、

伊雑宮瀧原宮に行きたくって、

詳しい知人に同行してもらって行ってきました。

 

2社以外はお任せってことにしてたら、

猿田彦神社

天の岩戸

佐美長神社

伊雑宮

瀧原宮

水屋神社

丹生川上神社上社

龍鎮神社

あともう1社参ったけど、

忘れちゃった。。。

 

一日で三重から奈良にかけて

これだけ回ったら、

さすがに帰りはクタクタだった。

 

でも旅の疲れっていうより、

エネルギー酔いって感じ。

 

しかも、神社で感じたエネルギーかと思ったら、

ずっと隣にいた友人のエネルギーっぽいの。

 

こんな長い間近くにいたことなかったから

気付かなかったけど、

この人なかなかすごいわ。

 

この日は、

始めの1社に猿田彦を選んでくれたのも、

にくいよねー。

猿田彦はみちひらきの神様。

なにかを始めるにはもってこいだよね。

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猿田彦神社

 

車を停めて鳥居の前まで歩いてたら、

拝殿の太鼓が「ドン!」

神社でなにかに出くわすと

歓迎されてる証拠だっていうから

喜んじゃった!

 

鳥居をくぐって参拝して、

向かいの佐瑠女神社を参っていたら、

猿田彦神社の拝殿から

またまた太鼓が「ドン、ドン、ドン」って。

 

どうやら、

朝のお勤めが始まったみたいで、

禰宜さんや巫女さんが祝詞を上げだした。

 

おかげで、

僕たちも拝殿付近で頭を下げて

加わることができたんだ。

 

祝詞の間、

目を閉じてお辞儀をしてたら、

誰かに大幣(おおぬさ)を両肩に当てられて

お祓いしてもらうイメージが浮かんだの。

 

大幣ってお祓いの時に使う、

木の棒に白紙をたくさん垂らしたやつね。

 

これはもう、

いい巡礼ツアーになるに違いないっ

興奮して神社を後にしたの。

 

ぼくがそんなイメージをしている間、

となりで友人は禰宜さんたちに合わせて

祝詞を上げてた!

やっぱ只者じゃないわ。

 

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水屋神社の巨木を見つめる友人

 

そんな友人と猿田彦のお祓いのおかげで、

すごく貴重な一日を過ごすことができた。

 

それぞれのお社で

それぞれの良さがあったけど、

なんといっても伊雑宮瀧原宮

このふたつはすごすぎる!

 

境内に入った時の感覚。

何百年も前から生き続ける

巨木の存在感。

拝殿の荘厳さ。

 

両方初めて行ったけど、

超絶気に入ってしまった。

 

ときどきまた参拝したいな。

それにぜひ、家族も連れていきたい!

 

ここで、

タイトルに書いた「神社を参る意味」なんだけどね。

 

伊勢神宮禰宜さんや並木良和さんに聴いた話では、

神様のいるところに行かなくても、

呼べば必ず繋がれる、現れてくれるって話なの。

 

じゃあなんでわざわざ神社へ参りにいくのか。

それはやっぱり、

神社という特別な場所の放つ、

磁場、波動、周波数、

そういうものに触れに行くんだよね。

 

そういうものがわからなくても、

荘厳さ、凛々しさ、静寂とか、

日常に感じられないものが

感じられればそれでいいんだと思う。

 

それに触れて、それを感じたらどうなるのか。

そう、共鳴するの。共振するの。

高い波動、神の荘厳さ・凛々しさを感じることで、

自分の中にもあるそれを奮い立たせるわけ。

 

つまり、やっぱり、

自分が神であることを想い出すんだよね。

 

そして、

波動が上がった自分に他の人が接することで、

その人たちの波動が上がったとしたら、

この世界はどんなにより良いものに、

発展するんだろう。

 

想像するとワクワクが止まらない!

 

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