「君は神だ☆」と言われましても…

自分の中の神様スイッチ押すブログ

いま『祈る』なら、この一択だと思う。

みんな、こんばんは!

ニニギミノルです。

 

今週は満月に始まり夏至を迎えた、

とってもパワフルな一週間だったね!

 

みんなも、それぞれ感じるままに、

いろんな体験をして過ごしたと思う。

 

僕もそのひとりで、

この上ない体験をさせてもらったよ。

 

そして、

僕がいましたいお役割も明確になったんだ。

 

それは、

人々を目覚めさせること。

 

もちろん、

目覚めるかどうかは

その人の自由意志なんだよ。

 

僕は、

目覚めることを決めた人が、

ちゃんと目覚められるようにすること

それが、お役割らしいの。

 

僕自身、

今生ではまだ目覚めてはいない。

 

だったら先に目覚めたらいいのに、、、

って思われそうだけど、

目覚めた立場からサポートするのは僕じゃない。

 

僕は、

僕が目覚めていく過程で、

他の人も一緒に目覚めさせること。

なんだと思う。

 

今週は、

満月の月曜に伊勢と奈良の神社を巡り、

夏至に向けて沖縄を旅したんだ。

 

どちらも、

みんなにシェアしたいことがあるから、

近々かならず記事にするから

楽しみにしておいて!

 

でも今日は、

それよりも伝えるべき、

いや、それを受けて今伝えるべき、

重要なことを書きます。

 

前回の記事にも書いた、

僕が提案したい『祈り』の内容についてです。

 

さきにズバリその祈りを紹介するね。

 

『私は、私という神を愛しています』

 

これだけ。

もっとしっくりくるなら、

『私は、私という神を深く愛しています』

とか、

『私は、私という神をどこまでも愛しています』

とかアレンジしてもいいです。

 

今年の夏至は、

来年から本格的になる

『地球のフェスティバル』の、

準備がいよいよ本格的に始まるって

タイミングだと思う。

 

徒競走でいうところの、

「位置について」 ← 夏至

「よーい」   ← 冬至

「スタート」  ← 春分(2020年)

って感じね。

 

高次の神々も、

いよいよ忙しくし始めて、

その命を受けた人たちが、

世界中でお役目を果たしてる。

 

そういうタイミングで、

この『祈り』を何度も唱えることは、

単純に自分の目標を見失わないだけじゃなく、

神々に「サポート募集中」って

知らせることにもなるんだ。

 

自分を愛し、

自分の内奥の神を愛することで、

その神の目で視る現実をも愛せるようになり、

ハートがグンと開く。

 

それによって、

神界とのパイプも繋がり広がり、

目覚めへのバックアップ体制が

ものすごく強化されるんだ。

 

なるべく、

片時も忘れないくらいのつもりで、

この『祈り』を唱え続けるといいと思う。

 

もし、このブログを

ずいぶん後になってから、

見たとしても大丈夫。

 

もし、『祈り』を中断する期間が

あっても大丈夫。

 

僕たちの意識は、

根底でつながっていて、

誰かの『祈り』はちゃんと

みんなの中に響いている。

 

そして、

時間というものは本来存在しないし、

自分がこの『祈り』に出会った時が、

自分にとってはベストタイミングだっていうことを、

信頼していいよ。

 

『祈り』を繰り返しているうちに、

問題だと思っていたことが、

どうでもよくなったり、

いつの間にか消えてしまったりして、

無くなってしまうよ。

 

不安も、

焦りも、

劣等感も、

罪悪感も、

無価値感も、

 

いろんなネガティブな気持ちが

少しずつ小さくなって、

幸せな気持ちが大きく育つ。

 

そうやって重たい荷物を

どんどん降ろして軽くなり、

気球のように本来の僕たちの

高い波動を取り戻すんだ。

 

本来の僕たちの視野を

取り戻すんだ。

 

できないわけなんてないよ。

自分で荷物を背負って降りてきたんだから。

 

冬至まで『祈り』を重ねて、

大空で合流しよう!

 

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祈り、楽しむ

みんな、おはよう!

ニニギミノルです。

僕が今年始めた取り組みのひとつが、

田んぼの手伝いです。

天孫降臨の稲穂の話を知ってから、

田んぼに興味が出てきたんだ。

それに僕が神様だって言ったYちゃんも、

実家の農業を手伝うのがいいっていうし。

グラウンディングとか第2チャクラとか、

僕の弱い部分にも効果があるらしい。

ということで、

今年植えた田んぼの草刈りを、

早朝から出勤までの数時間、

なるべく毎日やるようにしてるんだ。

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田んぼ二枚で二反でだけだけど、

無農薬の田んぼにはすぐに雑草が芽を出すのね。

僕もこんなに大変だとは思ってなかった。

田車ってのを力を込めて蹂躙して、

それでも残った草は手や道具で取っていく。

大変ではあるんだけど、

いいことも多い。

義理の両親は喜んでくれるし、

それを知って奥さんも悪い気はしてない。

一緒に田んぼに入る義兄弟とも会話が増えて、

僕は夜型から朝型の生活に。

おまけに重労働でダイエットにもなってる。

一石五鳥くらいある!

これっ!って言うやりたいしやるべきことって、

きっとこんな風にいっぺんに

いろいろ快方に向かうんだと思う。

こんな農作業の日々で、

ひとつ気づいたことがあるの。

一回草抜きするのに、

田んぼの端から端を稲五列ほど

作業していくんだけど、

列も途中でうねってたりして、

まっすぐじゃないのね。

目印を付けたところから始めていって、

「ありがとう。ありがとう。」って唱えながら、

感覚のままに進んで行く。

そして端までついた時に、

対岸に付けた目印を確認すると、

まるまる五列分ずれてたりするの。

しかももうやった方に後退してる!

もっとこまめに目印を確認しておけば

こんなことにならなかったんだけど、

つい面倒で感覚だけを頼りにしてしまう。

これ目覚めて生きてくってことにも

通じるところがあるなぁって思って。

そしたらふとこう感じたんだ。

「pray」と「play」

「祈り」と「遊び」

僕が言ってる、

「直感で生きる」っていうのは

まさに「遊ぶ」ってことで、

ワクワクして楽しんでることが

とても大事なんだよね。

そしてそれと同時に、

「祈り」も大事だって事なんだ。

「遊び」がエンジンだとしたら、

「祈り」は羅針盤。あるいはナビなんだよ。

prayとplayの違い、

それはLとR。

右と左。

人間で言うと、右脳と左脳。

祈りは右脳(感覚)を司り、

神様との縦の繋がりをもたらす。

遊びは左脳(論理)を司り、

現実との横の繋がりをもたらす。

このふたつが揃った時、

神様との共同作業、

つまり神楽が生まれるんだ。

少し前の記事で僕の毎日の祈りを

紹介してるから、

みんなも何か自分の道標になるような

祈りを、宣言を、

毎朝一番に唱えてみて。

次回の記事で、

僕から提案したい祈りを紹介します。

きっと速く正確に進む手助けになると思うよ!

神様が願いを叶えてくれない理由

みんな、こんばんは!

ニニギミノルです。

 

 

みなさん、神頼みってよくしますか?

僕は、目を覚まして生きる事を決めてから、

神頼みばかりしています。

 

大人になっていつからだったか、

寺社に参拝する時に頼みごとをするのが違う気がして、

「いつもありがとうございます」とか、

「私をどうぞ使ってください」って、

祈るようにしてたのね。

 

頼み事すると欲張りみたいで、

逆に神様に見放されそう

感じたのもあったと思う。

 

でも、

スピリチュアルな学びを重ねて、

いろんな体験をしていくうちに、

宇宙も、

神様も、

天使も、

ガイドも、

みんな僕たちを支援しようと、

こぞってスタンバイしていることが

わかってね。

 

そんな恩恵が溢れているいまの時代に、

「自分でなんとかするんだ!」っていう

エゴが邪魔していることを知ったんだ。

 

それからというもの、

頼む 頼む! 頼みまくり!

 

ところが。。。

 

ぜんっぜん願いが叶わない。

それでも、頼む!

でも叶わない。

 

を繰り返して、

もういいやってあきらめかけてた。

それが最近になってね。

 

願いが叶わない理由ってこれじゃないかな?

ってのを見つけたの。

 

それはズバリ、

『自己矛盾』

 

例えば、僕だと、

お店が暇なときに、

「もっとお客さんが来てくれますように」って

何回も祈るとする。

 

たまに、

ほんとにたくさん来てくれて、

バタバタと忙しくなる。

 

そこにさらにお客さんが

入って来られたその瞬間。

出ちゃうのよ。

願った反対の感情がねー。

「来ないで~。」みたいな。

 

失礼だよねー。

お客さんにも、神様にも。

 

お腹空いた我が子が

「カレー食べたい!」っていうから、

丹精込めて急いで作ったら、

「カレーは嫌い。」って

言われるようなもんだもの。

僕が言われたら怒るなぁ。

 

神様も怒りはしないだろうけど、

「どっちやねん!」くらいはなるだろうねー。

 

まぁ「来ないで~」っていうのも、

本心じゃなくて反射的にでちゃうのよね。

染みついた感情の回路みたいのがあるのかな。

 

だから、

これに気づいたときは、

自分でもびっくりしたの。

「あれっ?矛盾してる!」って。

 

たぶんこういう自己矛盾って、

だれにでもたくさんあるんだと思う。

うまくいっていないと

感じているジャンルで、特に。

 

例えば、

彼氏が欲しいって思っていたとしても、

彼氏が出来ると困るような事情があったり。

 

セレブな暮らしがしたいって思っていても、

セレブな社交場にはなじめない劣等感があったり。

 

こういう、

自分の中のバラバラの感情や意識を

丁寧にピックアップして、

整理して統合して、

シンプルなひとつの感情にしていけたら、

きっと神様は願いを理解しやすいんじゃないかな。

 

僕も最近で一番祈っていることは、

「お金が入ってきますように」だったんだよね。

 

ずっと祈ってきたけど、

なかなか叶えてくれない。

そこで、自己矛盾がないか考えてみた時に、

やっぱりたくさんあったの。

 

お金は悪だという感情。

お金は人生を狂わすという感情。

お金持ちは心が汚いという感情。

お金を失う恐怖。

お金を持つと妬まれるという感情。

清貧という理想像。

 

めちゃめちゃ矛盾してた!

いまでもまだまだ矛盾してるけど、

それでも少しずつ気づいてきてるの。

 

そして、先日また大きな出費があってね。

いよいよ本気で、

できるだけ矛盾をなくして、

朝に祈ったの。

 

そしたら、

数時間後に大金が入ってきた!

そのタイムリーさにほんっとに

驚いた!感動した!

 

きっと、

自己矛盾をなくすって、

人間関係も円滑になって、

仕事もストレスなくなって、

お金もめぐるようになって。

 

なにより、

自分というのがシンプルで

わかりやすくなるんだと思うよ。

そして、生きやすくなる。

 

ただ、シンプルに。

ただ、直感で。

ただ、自分らしく。

 

それが、僕。

だから、僕。

 

Because I’m Me

ちょっと前のCMに使われた曲の名前。

CM見てみて。

こんな気持ちで一日を迎えたいね!

https://www.youtube.com/watch?v=uesOrPmMElc

「やっちゃいけないことなんて、

そう多くはないと思うよ!」

僕たちに足りないもの

みんな、こんにちは!

ニニギミノルです。

 

みんな、

自分に足りないものってどれくらいある?

 

僕は、無価値感が大きかったから

目に映る人を見ては、

「あの人には○○があるのに、僕にはない。」

とか、

「あの人よりは、まだ僕のほうが持っているはず。」

とか、

いかにも、

相対世界の住人を満喫してきたんだ。

 

そんな、

「僕たちに足りないもの」について、

今日は話そうと思う。

 

前回の記事で、

三種の神器の鏡について触れたね。

 

残りの神器について、

足りないものを明らめるよ。

 

『明らめる』、

仏教用語では、「諦める」といって、

執着を手放すって意味なんだけど、

同時に、光を指す、明確にするって意味も

あるんだよ。

 

僕は、

一から無量大数までの数の位を

全部覚えてるんだけど、

この間、ふと一より小さい単位が気になって、

調べてみたんだ。

 

最小の単位は、

浄あるいは清浄っていうんだって。

 

つまり浄化っていうのは、

因数分解したり、

明らかにしたりして、

問題を小さく小さくしていって、

もう、

認識できないくらいに

小さくすることなんだね。

 

話を戻そう。

三種の神器

現代人にとってのその意味を

とても分かり易く説明してくれる本がある。

白駒妃登美さんの

古事記が教えてくれる天命追求型の生き方」

っていう本。

 

古事記についても関心のある人は、

おすすめします。

 

古事記に詳しい他の先生方も言ってるけど、

三種の神器には、僕たちが受け取るべき

メッセージがあるんだ。

 

鏡には、素直な心。

剣には、勇気、決断力。

勾玉には、調和。

 

この3つがあれば、

かならず自分が歩むべき人生に、

行きつくことができるんだ。

 

僕が言っている、

直感を生きるっていうのも、

これに含まれるね。

 

「それがないから困ってるんだけど・・・」

っていう人も、よく聴いてほしい。

 

これは、すべての人に本来あるものなんだ。

 

三種の神器については、

記紀のなかで何度も登場するけど、

瓊瓊杵尊は、天照大御神から

天孫降臨を仰せつかったときに、

これを渡されるんだ。

そして、もうひとつ授かったのが、

斎庭の稲穂。

 

これは、

五穀豊穣のシンボルでもあるんだけど、

ほかにも意味があって、

それは、

自分の天命を全うするために、

必要な才能のことなんだ。

 

そして、

天照大御神はこう言うんだ。

「必要なものはすべて授けた」って。

 

僕たちは生まれてくるときに、

三種の神器と、

斎庭の稲穂をちゃんと

授かって生まれてきてるんだよ。

 

そしてつまり、

僕たちに足りないものなんかないんだ。

 

でも、

あえて言おう。

僕たちには足りないものがある。

 

それは、

全ては備わっているという理解、

それを信じる力、

そして一歩を踏み出す勇気。

これだけ。

 

数日前に、

家の排水溝から水があふれてきてね。

床が水浸しになって大変だったんだ。

少し前から、排水の流れが悪かったり、

ゴボゴボ鳴ってたり予兆はあったんだけどね。

 

それで、

水道屋さんに来てもらったら、

「浄化槽の掃除してます?」って言われて。

僕「えっ、それは定期的に

 業者さんがしてくれてると思いますよ?」

水道屋さん「浄化槽の少し手前に、

 居住者が清掃するところがありますよね?」

僕「えええーーー!?知りませんでした 汗」

 

で、水道屋さんと確認してみると、

信じられない量のゴミや、

洗剤かすの塊がぎっしり固まっていて。

 

こんなにゴミが溜まってたから

そりゃ水も溢れるわけだわ。

 

で、

よくよく思い出してみると、

たしかに入居するとき、

その説明を受けていたんだ。

 

掃除をすることを忘れて

水が溢れるくらいに詰まっているけど、

実はちゃんとその方法を知っていたんだね。

 

三種の神器と浄化の話を、

浄化槽にたとえてするのは、

なんとも下世話な僕だこと。。。

 

でも、

もし問題の解決方法が分からなくて、

専門家に頼る人がいたとしたら、

専門家に直してもらうんじゃなくて、

いや一度直してもらったとしても、

健全な状態を維持するだけの力や

技術はちゃんと自分が持っていることを

覚えておいて。

 

じゃあまた!

悩みを因数分解する

みんな、こんばんは!

ニニギミノルです。

 

昨日の記事で、

やりたいことが見つからなくても大丈夫。

自分を信頼して居れたらオッケーだと思うよ。

って話をしたんだけど、

 

今日はその続きの話です。

 

今朝ね、車運転しながら、

なんとなく

「今日もブログ書こうと思うけど、

なんかある?」って聞いてみたら、

山の風景と、「ライラック」、「ことわざ」って

言葉が浮かんでね。

 

なんだろうって、

ググってみたら、

あるブログ記事が出てきた。

 

短い記事だったけど、

「恐れるな! 踏み出せばその一足が道になる!」

だって。

 

昨日の記事でも、

「道」ってワードが出てきたね。

 

たしかに、道ってさ、

進まないとただの風景だよね。

勇気をもって踏み出すから、

前に進むから道なんだよね。

(あいだみつお風)

 

 

でも、コメントもくれたけど、

(kumikongさんありがと!)

自分を信頼するっていうのが

ワカラナイって人も多いね。

 

僕もそうだった。

ワカラナイから、

知りたいから、

たくさん本を読んで、

話を聴いて、

ワークをやって、

セミナー受けて、

ヒーリングしてもらって。

 

それでもワカラナイ。

だからもっと探して外へ出た。

どんどん外側へ出た。

外の世界に答えがあるって思ってたから。

 

だって、そうやって解いてきたもんね。

そうやって学校で教えられたもんね。

でも、学校で習う問題って、

あれ自分の問題じゃないでしょ。

自分の内側に起こった問題じゃないでしょ。

 

外側の問題は、外側に答えがあるのね。

でも自分の内側の問題は、

自分の中にしか答えはない。

僕はそれを知らなかった。

 

あっ、ここでいう外側の問題っていうのは、

人が抱える問題って意味ね。

自分が自分以外に抱く問題、

これは自分の問題だよ。

 

例えば、僕が奥さんに対して、

「なんでもっと○○してくれないんだろう?」、

っていうのは、奥さんの問題じゃなくて、

僕の内側の問題ね。

 

奥さんのその事実を問題だと思う人もいれば、

思わない人もいる。

だったら、

その事実を問題と位置づけした人の問題なんだよ。

 

話を戻そう。

自分の内側の問題は、

自分の中にしか答えはない。

 

そこで、やっと自分の内側を検証しだしたの。

大きく分けると、アプローチは2つ。

ポジティブ面、と、ネガティブ面へのアプローチ。

 

まず、ポジティブ面へのアプローチ。

それは、何度か話してる、

直感を信じて行動してみる、を繰り返すこと。

 

ご飯なに食べるか、

交通手段はどれにするか、

だれと遊ぶか、

どの道を通るか、

なにを着るか。

 

選択する機会は、

一日50回くらいはあるんじゃないかな。

 

直感で「カレー」って浮かんだら、

迷わずカレーを食べる。

たとえ連チャンでも。

たとえデート前でも。

たとえ真っ白のシャツを着てても。

 

直感のあとに浮かぶのは、

全部100%思考だからね。

 

その選択が正解だったかの検証もしなくていいよ。

検証すること自体、疑ってることになるから。

ただ、直感を信じて行動し続ける。

 

ネガティブ面へのアプローチ。

これが、記事のタイトルに書いた、

「悩みを因数分解する」。

 

まず、いま自分が悩んでいることを

ひとつ挙げてみて。

 

たとえば、「タバコがやめられない」にしようか。

タバコがやめたくなければ、

悩みにならないからね。

 

普通はこんなサイクル。

タバコをやめたいと思う。

タバコをやめると決意する。

やっぱり吸っちゃう。

凹む。

よけいに悩む。

 

これじゃなかなか成功しないよね。

やめる理由がはっきりしてない。

 

だって、身体に悪いっていうし。

周囲が嫌がってるし。

吸えるところが少なくなってるし。

どんどん値上がりしてるし。

 

これらは、理由にはならない。

環境とか、だれかの意見とか、

ぜんぶ外側の理由でしょ。

だから、自分の内側が響かない。

モチベーションが上がらない。

 

だから、因数分解するの。

まず、そもそも、

なんでタバコを吸うのかを自分に問うの。

「・・・美味しいし。」

美味いだろうよ、そりゃ!

まずかったらとっくにやめてるよ。

 

因数分解する時は、

手段目的に分解するの。

余談だけど、

仏(ほとけ)って言葉の語源は、

「ほどく」だって説があるらしいよ。

 

やめたいものってだいたい手段なのね。

目的だと錯覚してるけど。

 

タバコを吸うことで、

ほんとうは何かを満たしてるの。

 

僕がやめたいって思ったときは、

「自分らしくいれる」、

「だれも褒めてくれないから、

自分へのご褒美として」、

「自分は許されてる」、

そういう感覚を満たすために吸ってた。

 

これらが目的で、

その目的達成のための手段として、

タバコを吸ってたのね。

 

あとは、解いていくだけ。

2パターンあって、

目的を達成するための代替手段はないか?

と、

目的自体を変えることはできないか?

 

代替手段は、けっこう自分で導き出せると思う。

 

問題は、目的を変えるほうね。

 

僕たち地球の人間は、

罪悪感と無価値感っていうのが、

意識の根っこにこびり付いていて、

なかなか取り切れないものなの。

 

それが、人生の数ある体験のなかで、

パターン化されてしまって、

不足感を満たすことが

まるで当たり前になってる。

それを改めて、問い直してほしい。

 

「自分らしくいれる」感を充足するために、

タバコを吸う。

でも、ふだんから「自分らしく」いられれば、

タバコやほかの手段で充足する必要自体なくなる。

 

あなたの問題を分解した目的は、

いまのあなたにとって本当に達成すべきものですか?

 

そして、知っておいてほしい。

罪悪感も無価値感も神様が与えたものなんかじゃない。

 

神社に行って拝むその先にあるご神体は、鏡。

天照大御神は、鏡を私だと思いなさい。って言ったの。

 

罪悪感や無価値感で自分を卑下し、

下になおって神を上に見たならば、

そこにはなにも写らない。

 

神と自分を等しくしたときにだけ、

鏡の中にあなたという神様が写る。

 

いちばん身近に拝む神様って、

じつは自分なんだよ。

 

さあ、あなたの悩みを分解してみて。

そしてそれ自体をワクワクして楽しんでみて。

 

Enjoy!

自分は何がしたいのかわからない人へ

みんなこんばんは!

ニニギミノルです。

 

今日は、人生の大半で僕を悩ませた、

「自分は何がしたいのか?」

という問いについて、話そうと思う。

 

先に言っとくけど、

「俺はこれをやるために生まれてきたんだー!」とか、

もう分かったわけじゃないよ。

あるいは、すでに自分の才能に気づき、

努力を重ねてその道を極めてもいない。

 

そんな立場の僕だけど、

いまこの問いについて話してみます。

 

僕は、

さいころからずっと、

やりたい事や、なりたい職業がなかった。

だから、聴かれたり、

卒業文集の時とか、

すごく困った。

 

友達のを参考にしたり、

いま流行っているもの、

いま習っていることの延長上で、

なんとか答えてきたんだ。

 

小学校を卒業し、

中学校を卒業し、

高校も、大学も、ずっとなかった。

 

で、いよいよ就活って時期になって、

分からなさ過ぎて、

一回休学してインドに行こうってなったんだけど、

それもやめて。

 

気付いたら卒業してて、

しょうがないから就職浪人。

 

バイト先にそのまま

就職することも考えたけど、

なんとか奮起して中小企業の営業マンになった。

営業になりたいってわけではなかったけど、

しゃべるの好きだったから。

 

その時は、「いづれこの会社の社長になる!」って

目標決めたんだけど、

それは、やりたい事とはちょっと違うよね。

 

8年くらいはなんとか、

モチベーション保てたけど、

11年でサラリーマンを

ドロップアウトしたのね。

 

で、いまは奥さんの夢だったお店を

夫婦でやってるって体(テイ)だけど、

実際は奥さんの経営を手伝ってる感じ。

 

目の前のことでずっと

ごまかしてきたけど、

やりたいことがないってすごく辛かった。

たぶんここまで読んでくれてる人は、

同じような経験してるんだろうね。

 

だれかや社会に流されてずっと溺れそうで、

必死でもがいて手足でまさぐるけど、

何にも掴まれるものがない。

そんな溺れかけの毎日。

壊れかけのレディオ。

 

僕の場合は、

幸いにも奥さんが辛抱強くサポートしてくれたのね。

だからなんとかおぼれずにすんだ。

 

今から考えると、

必死でもがいてたんじゃなくて、

怖くて動けなかったんだけどね。

臆病かつ傲慢だったの、たぶん。

 

で、いよいよもう死んじゃうかってなる間際で、

プライドもエゴも脱いで、

ぼろぼろに泣きながら、

「助けてください、、、!」って、

天を仰いだあたりから、

不思議なことや、不思議なご縁で

救ってもらったんだ。

 

でね、

じゃあ今はやりたい事が

見つかったのかっていうと、

そんなことはない。

 

でもね、

不安は消えた。

もういい歳だし、

今からやりたい事分かったって、

実現するの無理じゃない?

とか、思わないの。

 

必ずうまくいくっていう、

道の上にいるっていう安心感があるだけ。

 

「そりゃ、お告げとかもあるし、

天孫降臨とか、

やりたいこともあるから

言えるんじゃない?」

 

って思うかもしれないね。

 

でもね、順番が逆なの。

お告げがあるから、

信頼するんじゃなくて、

信頼するから、

お告げを感じられるの。

僕の場合、お告げというより直感ね。

 

大げさに言うと、

目隠しして一歩踏み出せたら、

そこに足場が現れるって感じ。

 

でも、僕みたいに臆病だった時には、

一歩先が崖のように感じて

恐怖で脚が前に出なかった。

 

もうひとつの

神様がくれたインド旅

にも書いてるけど、

僕の場合の悟りの入り口は、

「中が見えない小さな穴に、

入れるかどうか」だったんだよね。

 

ほかの人にとっては、

簡単なことかもしれないけど、

僕にとっては、

人生が動き出すための、

大事なトリガーだったんだ。

 

じゃあ、いまはどうやって

安心して、信頼して生きてるのかっていうと、

なるべくいつも本当の自分を、神様を感じて、

直感ぽいものにトライして、

実証してみるって感じ。

スピリチュアルPDCAね。

 

まだ鈍いから、

毎度毎度、

「やっぱこれで正解だった!」みたいには、

いかないけど、

ときどき、「良い調子よー!」「合ってるよー!」

みたいなフィードバックがちゃんとあるんだよ。

 

たとえば、

この間、伊豆と富士に、

人が聴いたら???な使命で行ったんだけど、

(知らない人はこの記事見て)

弾丸ツアーから帰ってきて数日後に、

郵便ポストにこれが届いたの。

 

雲見浅間神社の御札!

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その地域では、

富士山の話をすると祟りがあるって言われてるのに、

その神様に富士山の水を奉納するっていう、

愚行をはたらいたのにだよ!

 

~べき、

~しなければならない、

セオリー、

常識、

一般論。

 

そういう自分以外の概念は、

もう終わりにしようってつくづく思う。

それに従ったって、

だれも責任なんか取ってくれないもん

 

ユダヤ教にこんな教えがあるってさ。

「自分が自分のために

自分の人生を生きていないのであれば、

いったい誰が、

自分のために生きてくれるのだろうか」

 

それと、もうひとつ大事なこと。

何かをするから、成功なんじゃない。

どのようにあるかで、人生は決まるんだよ。

(偉そうに、、、)

 

Doingじゃなくて、Being。

つまり、在り方ね。

 

仏教では、

八正道とかいうけど、

ひとつひとつの感じ方、

見方、聴き方、

あらゆる意識

あらゆる行為。

 

それが、

複雑じゃなく純粋に、

煩雑じゃなく丁寧に、

外側じゃなく内側で、

そのように在れたなら、

大安心の人生が始まるよ。

 

それでも、不安で苦しいときは、

純粋に、丁寧に、内側で、呼吸してみて。

ちなみに、呼吸って、

吸ってから吐くんじゃないよ。

 

呼吸の漢字よく見てみて。

呼吸を意識したら、

まず吐くの。

吐いて吐き切って、

はじめて吸うの。

 

水槽の水を替えるときに、

新しい水入れてから、

出さないでしょ。

それじゃ、きれいになりきらない。

 

まず汚れたものを抜き切る。

そして、真新しいものを取り込む。

 

まず吐き切る。

そうすると、聖なるものを呼びこむの。

そして、空っぽの体に、

聖なるものをめいっぱい、

吸い込むの。

 

じゃあまたね!

はい!吐いて!

 

 

瀬織津姫と饒速日命の公開チャネリング

こんばんは!

ニニギミノルです。

 

今日のお話は、先週東京で受講した、

並木良和さんの公開チャネリングについてです。

 

今回のテーマは、瀬織津姫饒速日命』!

このテーマだからこそ参加を決めた!

そして、

電車を乗り継ぐこと5時間で会場に着き、

2時間の講座を受講したその1時間後には、

高速バスに乗車し9時間で帰宅したんです。

 

講座2時間のために、

往復14時間の移動をいとわない。

 

それぐらい受けたかった。

というか聴きたかった。

直接、饒速日命に!

 

僕がこの2柱の神様を知ったのはもちろん、

自分が瓊瓊杵尊だと知ってからです。

 

そして、今年の1月に友人の紹介で

饒速日命瀬織津姫の魂を持つ人に会った。

その話は、この記事を読んでね。

 

そこで、特に饒速日命に親しみを感じて、

彼と自分のエネルギーを合わせ持って、

今年の秋に天孫降臨することことが

自分の使命だって勝手に思ってるのね。

イタいでしょ。でも超本気。

 

 

でね、でね、

何が聴きたかったっていうと、、、

 

あ、その前に、

並木さんって人は、

嘘か誠か、自分が意図した存在と

いつでもチャネリングできてしまうのね。

 

質問タイムでは、

質問者と並木さん、

そして並木さんに耳打ちする饒速日命みたいな

構図がずっと続くのよ。

 

並木さんが知らない情報も、

饒速日命の耳打ちするまま答えたりするから、

100%信じてしまうよ、その場にいたら。

 

 

でね、

僕が聴きたかったことは、

いくつかあったんだけれども、

要約すると、

饒速日命瓊瓊杵尊の魂を統合した状態で、

天孫降臨することが正しいことなのか?

意味があることなのか?ってこと。

 

そのまま質問したわけではないけれど、

答えを総合的に判断して、

完全に「Yes!」だってことが分かった。

 

もう、それだけで14時間の移動とか、

必要経費だとか屁でもないくらい、

僕にはすごーーーーーく、意味のある講座だった。

 

その回答の中で饒速日命から聴いてびっくりたのが、

彼と瓊瓊杵尊は兄弟の関係だと思っていたら、

瓊瓊杵尊饒速日命分け御魂だったってこと。

 

まあ、どっちも正解でいいともいえると思うんだけど。。。

 

分け御魂っていうのは、

日本神道の考え方のひとつで、

一霊四魂ってのがあるの。

 

荒魂、和魂(幸魂、奇魂)の四魂が、

ひとりひとりに存在しているって考え方。

その魂が、ほかのだれかにくっついて影響したり、

あるいは分身のように生きるって感じ。

 

じゃあ例えば、

僕は瓊瓊杵尊の分け御魂だけなのかっていうと、

そうでもないみたい。

複数の魂を持っていることのほうが多いような気がする。

 

僕も、先日の誘導瞑想のなかで、

ハイヤーセルフにこう質問したの。

「あなた(私)はいったい誰ですか?」

 

そしたら、

「プロメテウス」って口をつくように声にしたの。

自分でもびっくりした。

だれかの小説でそんなのあったかな?って

ググってみたら、ギリシャ神話の神様らしくて

思わず「はっ?」ってなった。

 

まぁとりあえず、

今年は日本シリーズとして、

瓊瓊杵尊のお役割をさせて頂いて、

来年ぐらいはギリシャシリーズが始まるのかな。

そのうち知らされるでしょ。大事なお役目ならね。

 

 

話を戻して、2柱は本来ひとつの存在ってこと。

じゃあなんで饒速日命として大和に天孫降臨して、

ずっとあとに瓊瓊杵尊として高千穂に降臨したのか?

 

そのときは、それが一番だった。

そうすることで、起こるべきことが起こったんだとさ。

その起こるべきことの延長上に、

もし僕の天孫降臨も繋がっているとしたら、

それはもう鳥肌もんだね。

 

もうひとつびっくりしたのが、

会場の参加者でこのブログを知ってる人がいたってこと。

声かけてくださって、めっちゃ嬉しかった。

ほんとはゆっくりお話でも

したいところだったんだけど、

なにぶん高速バスの時間が迫ってたもんで、

後ろ髪引かれながら会場をあとにしました。

 

あっ、そうだ。

もひとつ、びっくりしたことがあった!

講座の途中で並木さんが、

瀬織津姫饒速日命に体を譲って、

チャネリングメッセージを伝えるって

時間があったんだけど、

その時の並木さん見てたら、

人生初のオーラが見れた!

 

饒速日命の時は、大きくて活発で、

炎天下の太陽のように真っ白だった。

 

瀬織津姫は、少し控えめにいて、

淡い紫色だった。

 

そんなわけでとても収穫の大きい、

超特濃の2時間を過ごした話でした!