「君は神だ☆」と言われましても…

自分の中の神様スイッチ押すブログ

悩みを因数分解する

みんな、こんばんは!

ニニギミノルです。

 

昨日の記事で、

やりたいことが見つからなくても大丈夫。

自分を信頼して居れたらオッケーだと思うよ。

って話をしたんだけど、

 

今日はその続きの話です。

 

今朝ね、車運転しながら、

なんとなく

「今日もブログ書こうと思うけど、

なんかある?」って聞いてみたら、

山の風景と、「ライラック」、「ことわざ」って

言葉が浮かんでね。

 

なんだろうって、

ググってみたら、

あるブログ記事が出てきた。

 

短い記事だったけど、

「恐れるな! 踏み出せばその一足が道になる!」

だって。

 

昨日の記事でも、

「道」ってワードが出てきたね。

 

たしかに、道ってさ、

進まないとただの風景だよね。

勇気をもって踏み出すから、

前に進むから道なんだよね。

(あいだみつお風)

 

 

でも、コメントもくれたけど、

(kumikongさんありがと!)

自分を信頼するっていうのが

ワカラナイって人も多いね。

 

僕もそうだった。

ワカラナイから、

知りたいから、

たくさん本を読んで、

話を聴いて、

ワークをやって、

セミナー受けて、

ヒーリングしてもらって。

 

それでもワカラナイ。

だからもっと探して外へ出た。

どんどん外側へ出た。

外の世界に答えがあるって思ってたから。

 

だって、そうやって解いてきたもんね。

そうやって学校で教えられたもんね。

でも、学校で習う問題って、

あれ自分の問題じゃないでしょ。

自分の内側に起こった問題じゃないでしょ。

 

外側の問題は、外側に答えがあるのね。

でも自分の内側の問題は、

自分の中にしか答えはない。

僕はそれを知らなかった。

 

あっ、ここでいう外側の問題っていうのは、

人が抱える問題って意味ね。

自分が自分以外に抱く問題、

これは自分の問題だよ。

 

例えば、僕が奥さんに対して、

「なんでもっと○○してくれないんだろう?」、

っていうのは、奥さんの問題じゃなくて、

僕の内側の問題ね。

 

奥さんのその事実を問題だと思う人もいれば、

思わない人もいる。

だったら、

その事実を問題と位置づけした人の問題なんだよ。

 

話を戻そう。

自分の内側の問題は、

自分の中にしか答えはない。

 

そこで、やっと自分の内側を検証しだしたの。

大きく分けると、アプローチは2つ。

ポジティブ面、と、ネガティブ面へのアプローチ。

 

まず、ポジティブ面へのアプローチ。

それは、何度か話してる、

直感を信じて行動してみる、を繰り返すこと。

 

ご飯なに食べるか、

交通手段はどれにするか、

だれと遊ぶか、

どの道を通るか、

なにを着るか。

 

選択する機会は、

一日50回くらいはあるんじゃないかな。

 

直感で「カレー」って浮かんだら、

迷わずカレーを食べる。

たとえ連チャンでも。

たとえデート前でも。

たとえ真っ白のシャツを着てても。

 

直感のあとに浮かぶのは、

全部100%思考だからね。

 

その選択が正解だったかの検証もしなくていいよ。

検証すること自体、疑ってることになるから。

ただ、直感を信じて行動し続ける。

 

ネガティブ面へのアプローチ。

これが、記事のタイトルに書いた、

「悩みを因数分解する」。

 

まず、いま自分が悩んでいることを

ひとつ挙げてみて。

 

たとえば、「タバコがやめられない」にしようか。

タバコがやめたくなければ、

悩みにならないからね。

 

普通はこんなサイクル。

タバコをやめたいと思う。

タバコをやめると決意する。

やっぱり吸っちゃう。

凹む。

よけいに悩む。

 

これじゃなかなか成功しないよね。

やめる理由がはっきりしてない。

 

だって、身体に悪いっていうし。

周囲が嫌がってるし。

吸えるところが少なくなってるし。

どんどん値上がりしてるし。

 

これらは、理由にはならない。

環境とか、だれかの意見とか、

ぜんぶ外側の理由でしょ。

だから、自分の内側が響かない。

モチベーションが上がらない。

 

だから、因数分解するの。

まず、そもそも、

なんでタバコを吸うのかを自分に問うの。

「・・・美味しいし。」

美味いだろうよ、そりゃ!

まずかったらとっくにやめてるよ。

 

因数分解する時は、

手段目的に分解するの。

余談だけど、

仏(ほとけ)って言葉の語源は、

「ほどく」だって説があるらしいよ。

 

やめたいものってだいたい手段なのね。

目的だと錯覚してるけど。

 

タバコを吸うことで、

ほんとうは何かを満たしてるの。

 

僕がやめたいって思ったときは、

「自分らしくいれる」、

「だれも褒めてくれないから、

自分へのご褒美として」、

「自分は許されてる」、

そういう感覚を満たすために吸ってた。

 

これらが目的で、

その目的達成のための手段として、

タバコを吸ってたのね。

 

あとは、解いていくだけ。

2パターンあって、

目的を達成するための代替手段はないか?

と、

目的自体を変えることはできないか?

 

代替手段は、けっこう自分で導き出せると思う。

 

問題は、目的を変えるほうね。

 

僕たち地球の人間は、

罪悪感と無価値感っていうのが、

意識の根っこにこびり付いていて、

なかなか取り切れないものなの。

 

それが、人生の数ある体験のなかで、

パターン化されてしまって、

不足感を満たすことが

まるで当たり前になってる。

それを改めて、問い直してほしい。

 

「自分らしくいれる」感を充足するために、

タバコを吸う。

でも、ふだんから「自分らしく」いられれば、

タバコやほかの手段で充足する必要自体なくなる。

 

あなたの問題を分解した目的は、

いまのあなたにとって本当に達成すべきものですか?

 

そして、知っておいてほしい。

罪悪感も無価値感も神様が与えたものなんかじゃない。

 

神社に行って拝むその先にあるご神体は、鏡。

天照大御神は、鏡を私だと思いなさい。って言ったの。

 

罪悪感や無価値感で自分を卑下し、

下になおって神を上に見たならば、

そこにはなにも写らない。

 

神と自分を等しくしたときにだけ、

鏡の中にあなたという神様が写る。

 

いちばん身近に拝む神様って、

じつは自分なんだよ。

 

さあ、あなたの悩みを分解してみて。

そしてそれ自体をワクワクして楽しんでみて。

 

Enjoy!