「君は神だ☆」と言われましても…

自分の中の神様スイッチ押すブログ

富士山頂のコノハナサクヤヒメに会いに行く! ①

みんなこんばんは!

ニニギミノルです。

 

前回お話したように、

富士山に登ってきました!

 

それなりに覚悟と準備はしてたつもりだけど、

登山初心者にはかなりきつかった~。

でも、山頂で見るご来光は、

一生に一度は見たい光景だったよ!

 

さてさて、

今回の登山の目的はやっぱり、

浅間大社奥宮のご祭神コノハナサクヤヒメに会うため。

なぜかっていうと、

僕が分け御魂を持つニニギノミコトの妻だから。

 

本当は、今年5月に富士宮市にある富士本宮浅間大社

行ったことで済んだはずが、

境内がなんだか寂しくて。。。

 

それで、奥宮がある富士山頂に行くしかない!って流れです。

 

計画当初は初心者向きの吉田ルートから登るつもりでした。

ちなみにルートは4つあります。

 

そしたら、知人から去年富士宮ルートから奥宮に行った話を聴いて、

良く調べると、富士本宮浅間大社から奥宮につながるのが、

富士宮ルートだってわかったから、こっちに変更。

 

新富士駅からバスで富士宮五合目に向かう。

富士山を見ると、

見たことない形の雲!

 

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富士山頂(左)とその右にかかるレンズ雲

 

運転手も乗客も気にも留めないので、

たぶん珍しくないのかな。

 

途中、トイレ休憩に停まったのが、

なんと富士本宮浅間大社の湧玉池!

直感が水を「汲んで持っていけ」って言ってる。

リュックには、空のペットボトルがひとつ。

 

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湧玉池の奥には、水汲み場がある

 

トイレに向かう乗客の流れに反し、

水汲み場に走る。

 

汲みながら、

春に行った時の境内の空しい雰囲気を思い出す。

気になって境内に立ち寄ると、

なんだか雰囲気が良くなってる!

「だれかがなんかしてくれてるんだ!

 ありがとう!」

 

そう思ってたら、

拝殿から雅楽の笛の音が聞こえてくる。

これは歓迎の合図のひとつ!

これでいいんだ!

意気揚々と五合目に到着し、

長い長い登山がスタート。

 

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五合目から見上げる富士山

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所要時間の目安は、初心者にはあてにならない

当日まで体調を整えていったつもりだったけど、

やっぱり8合目付近からは別世界!

リタイヤする人がいるのもわかるわ。

 

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雲海は、刻々と景色を変える

 

それでも、

ここからが奥宮の境内と言われる鳥居を通り、

気持ちを奮い立たせる。

 

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富士宮ルート八合目の鳥居

 

予定を15分ほどすぎて、

 9.5合目の山小屋に到着。

この時点で頭が少し痛いし、呼吸が苦しい。

やばい、高山病の予兆じゃん。

体を休めたいけど、睡眠の質も悪く、

結局ほとんど眠れぬまま、

午前3時に起床。

 

それでも、前日の9.5合目までがんばったので、

気持ちはずいぶん楽だった。

残りは0.5合しかないんだから。

ガイドブックには目安30分と書いてある。

 

ところが、この0.5合分が超きつかった。。

 

最初は5m進んでは

ハ~ハ~と呼吸を整えてたのが、

3m、2m、1mと

どんどん進める距離が短くなる。

呼吸の数は反比例して増えるばかり。

 

東のほうは茜色に染まりだし、

かはたれ時を迎えようとしてる。

「急がなきゃ!」

 

頂上の鳥居の手前にある、

最後の難所の岩場を登り、

やっとの思いで5時11分登頂。

 

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山頂の奥宮に構える鳥居(明るくなってから撮影)

 

奥宮の思いつくところに、

持参したペットボトルの水を撒く。

 

東側の小高い所には

すでに大勢がご来光を待ってるので、

手短に済ませて僕もポイントを探す。

 

きょろきょろとあたりを見回しているとき、

女性の歓声があがる。

 

そして、念願の富士山頂からのご来光を拝む。

 

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伊豆の雲見浅間神社のも良かった。

ハワイのマカプウビーチのも良かった。

沖縄の久高島でみたのも良かった。

 

それでも、

富士山頂のご来光ほど、

神がかったものは初めてだ。

 

遠くに見える朝日は米粒のように小さい。

でも、

その光がもつ威厳、圧力は

僕の体をゆうに通り抜けていく。

まるで僕など存在しないみたいに。

 

その屈服感に、

最初は自分の小ささを知らされる。

 

でもすぐに、

その小さい自分の内側で感じる、

この景色の壮大さに気づく。

 

この単なる紅の発光に、

たとえようのないスケールの神々しさを

持たせているのは、

まぎれもなく自分の感情なのだ。

 

まるで、自分が

横にした砂時計のボトルネックのようだ。

 

目の前の外側の圧倒されるスケールと同じだけ、

内側の感情のスケールがある。

 

ご来光とは、

自分を通して、

外神様と内神様が交流する時間なのだ。

 

その時間には、自分の意識は働かない。

むろん意識を通した感情もだ。

 

ただ無意識に、

何の理由もない涙が頬を伝う。

 

それを陳腐でもあえて表現するとしたら、

「心が洗われる」ということだろう。

 

 

無心の時間がどのくらい過ぎたのか。

なにかを祈りたいと感じる。

 

「世界が平和でありますように」

 

なんどか復唱すると違和感を感じた。

 

目に映るものを美しくも醜くも捉えるのは、

自分の心の在り方ひとつ。

 

だとしたら、

僕らみんなが、自分の心を平和にすれば、

映る現実は平和そのものなのではないだろうか。

 

「僕たちみんなで、世界を平和にします」

 

なんどもそう唱えながら、

富士のご来光を目に焼き付けた。

 

つづく