「君は神だ☆」と言われましても…

自分の中の神様スイッチ押すブログ

いま、アセンション山の何合目にいるのか?

みんな、こんばんは!

ニニギミノルです。

 

今日は、

自分の現時点を整理するために、

こんなタイトルにしてみた。

 

『いま、アセンション山の何合目にいるのか?』

 

アセンション山って、

スピリチュアルパスとか、

悟りの道とかを

山に例えてみたやつね。

 

そんな名前の山が実在するわけじゃないよ。

探さないでね。

 

つまり、

霊的な成長によって、

一定のゴールを目指す道っていう意味。

 

それを山に例えて、

その山頂をゴールとしたときに、

自分はいったい何合目くらいにいるのかな?って話。

 

これ、みんなも気にならない?

自分はどれくらい進んでるのか?

あとどれくらいでたどり着けるのか?

 

こんなこと書きだして、

さも自分が結構いい所まで

来てるように見えるかもしれないけど、

そうとう底辺ですから。

まだ麓(ふもと)ですから。

 

自分の歩んでる道の先なんて

どうなってるかまだわからないけど、

スピリチュアルパスって

きっとこんな行程なんだろうなって想像してみる。

 

現実のなかで生きる

疑問・不安・恐れ・焦りなどが度を超す

人生が行き詰まる

現実を超えた世界に足を踏み入れる

新しいメンター、仲間などに属す

確固たる信念を持つ

魂の望む人生を生きる決意と宣言をする

 

僕の場合は、

こんな感じの行程をなぞってきた。

もちろん、一段一段着実に登ってきたわけじゃない。

 

一段上るのに、どれだけの勇気を要したことか。

一段上るのに、どれだけ後退したことか。

一段上るのに、なんど振り出しに戻ったことか。

 

でも、そんなことは人にいうことじゃないね。

こんな思いを経験した人、

こんな思いの最中にいる人。

どうか自分で、

その長い道のりを

その限りない挫折を、

そしてそれを乗り越えて今に立っている事を、

自分で自分を褒めたたえてあげてほしい。

 

自分は本当によくここまで来た。

 

そうして、

僕はアセンションという山を登る決意をしたんだ

でも、

つまりそれは、

まだ登山口をスタートしたわけじゃないことを

意味している。

 

アセンション山を登る決意をして家を出る前なんだ。

この先何度も決意と宣言を撤回するかもしれない。

あるいは、振り出しの現実に戻ることだってある。

 

家を出て、

山へ向かうために電車を乗り継ぎ、

最寄り駅に着く。

 

富士山を想像してほしい。

ルートは4つあり、

それぞれに登山口がある。

そしてその登山口に向かうバスが

出る最寄り駅もそれぞれにあるんだ。

 

登山口まで着いて、

僕は「ここじゃない。」って戻るかもしれない。

 

4つのルートならまだしも、

アセンション山には

数えきれないほどのルートがある。

 

なんども失敗するかもしれない。

しかし、

そのぶん自分のルートと登山口を

確信した時には、

必ずそれが分かる。

武者震いをする。

雄たけびをあげる。

 

「僕はこの道を登りたいんだ!」って。

 

その確信がない今の僕は、

つまりはまだ山を登り始めていない。

 

そのことを、

この記事を書き進めながら気づいた。

でもね、そんなにショックは感じない。

 

自分の望む道を、

自分の望む時間をかけて、

自分の望む感じ方で、

ここまでたどり着いている。

 

そしてそれを自分で讃えている。

 

だから、この先まだ果て無く続く道だろうと、

きっと僕はたどり着く。

 

アセンションという頂きにきっと立っている。

 

もし、

いま僕に視えた直感を信じるならば、

それは5年先のことになる。

 

とんでもなく不可能な期限に思うけど、

僕と僕の周りで起こっている動きに照らすと、

あながち不自然な数字でもない。

 

この記事の読者が、

アセンション山の頂で

僕を出迎えれくれるのか、

あるいは僕が出迎えるのか、

わからないけど、

 

その頂から見える景色を

風を、鼓動を、空気を、

共感できることが、

いまから楽しみでならない。