「君は神だ☆」と言われましても…

自分の中の神様スイッチ押すブログ

イワナガヒメと君が代

こんばんは。

ニニギ ミノルです。

 

前回は本題なしだったので、

今日はさっそく。

 

 

 では、本題。

 

 

前回、饒速日命のことばかり書いて、

瀬織津姫については触れなかった。

 

実際、1月13日の初対面で、

4時間ほどの滞在のなかほとんど瀬織津姫とは

会話がなかった。

 

かといって印象がないわけではない。

霊妙な、底知れないものを感じて、

僕はうかつに相手の懐に入れなかったのかもしれない。

 

 

つねに饒速日命を立てて、

少し後ろで控えている。

そんなおしとやかさがあり、

ふたりとの会話はほぼ饒速日命との

やりとりになった。

 

いよいよ別れ際というときに、

それまでのつつましさが嘘のように声を発した。

 

僕「じゃあそろそろ帰ります。」

姫「ひとつだけ。ひとつだけ、質問してもいいですか?」

僕「ええ、どうぞ。」

姫「ミノルさんからみて、饒速日命邇邇芸命はどんな関係ですか?」

 

僕の答えはこうだった。

饒速日命邇邇芸命は兄弟という説があり、

僕もそう感じている。

並木良和さんも地球の関係でいえばそうだ、と言っていた。

 

ただ、僕は饒速日命邇邇芸命こそ統合すべき象徴だと思っている。

兄弟というより、両極のように二元の存在。

そして、僕が行う天孫降臨は、

この二元を一元に統合することが大事なことなんだと感じている。

 

僕の答えに対し、彼女はただ礼を言った。

その反応からは、答えに満足したのか、

不服なのか図れない。

 

ただひとつわかっていることは、

彼女のひとつだけの質問は、

僕にとって、饒速日命にとって、

天孫降臨の全容にとって、

すべてを要約したものだった。

 

僕の回答によって、

すべてを承知したような、

すべてを推し量ったような、

そんな瀬織津姫の聡明さを実感した。

 

日本神話の神々のなかでも、

僕は女神様の存在感はすごいと思う。

 

瀬織津姫イザナミノミコト、アメノウズメノミコト、

コノハナサクヤヒメ、イワナガヒメ、そして天照大御神

 

もっとたくさんいるが、邇邇芸命にかかわりの深いのは、

このくらいだろうか。

 

コノハナサクヤヒメは、美や繁栄を象徴するとされ、

なんと日本一の山富士山の山頂を奥の宮とする存在だ。

麓にある本宮浅間神社主祭神である。

 

富士山は女人禁制だった時代があったと聞くが、

女神様は良かったのだろうか?

それくらい、偉大な神様だったということなのか?

 

いっぽう姉のイワナガヒメも、浅間神社主祭神だが、

雲見浅間神社という、伊豆半島烏帽子山にある社のほうだ。

 

このあたりでは、富士山を口に出すと災いが起こると

伝えられるくらい、イワナガヒメコノハナサクヤヒメに対する

恨みが強かったと言われているそうだ。

 

僕の感覚では、そんなに恨んでいないと思っている。

邇邇芸命イワナガヒメをどんな事情で、

義父のもとへ帰したのかわからないが、

いづれ迎えに行くことを承知の上だったように感じるのだ。

 

コノハナサクヤヒメを選んだことで、

その象徴である美と繁栄をこの国は体験した。

 

しかし、イワナガヒメを帰したことで、

永遠の命は奪われた。

つまり、繁栄は永続しなかったのだ。

 

しかし、いつかふたりの女神を

めとることができる時代が来た時に、

必ずイワナガヒメを迎えにいくと

邇邇芸命は誓いを立てた。

 

そして、それを邇邇芸命のひ孫にあたる、

神武天皇から代々忘れないように、

そんな誓いのために詠まれた歌が

君が代』だと思っている。

 

君が代

 

千代に八千代に

 

さざれ石の巌となりて

 

苔のむすまで

 

最近まで、言葉の意味すら知らなかったこの国歌。

何の見識もないが、

日本神話の延長上として想像するこの歌に、

いま僕は愛着と誇りを持って味わっている。

 

天孫降臨のまえに、

二つの浅間神社をじっくり参拝することになりそうだ。

 

「君は神だ」と言われてからの珍道中を描いたのがこのブログですが、

その前のエピソードをまとめたブログ『神様がくれたインド旅』も同時執筆中。