「君は神だ☆」と言われましても…

自分の中の神様スイッチ押すブログ

「君は神だ!」

「君は神だ」と言われてからの珍道中を描いたのがこのブログですが、

その前のエピソードをまとめたブログ『神様がくれたインド旅』も同時公開中。

 

このブログを最初から読みたい方はこちらからご覧ください。

これまでのあらすじ

 

 

11月の並木良和さんのワークショップから帰った僕を見て、

またもやうちの奥さんは驚いたようだ。

やはり、主観だけでなく客観的にも変化があるのだろう。

心のとげが抜けたようなすがすがしさを感じる。

 

『10月25日』のメッセージの意味を気かけてくれていた方々に、

ここまでの話をしたら、みんな何かスイッチが入ったようだった。

 

ある人は、並木さんの本やYouTubeを見尽くして共感してくれた。

ある人は、僕にとっての並木さんにあたる体験を、

自分の直感を信じて味わおうとしている。

どちらも素晴らしいプロセスだと思う。

 

この時に僕は、自分に起きた不思議な体験を人にシェアすることが、

それぞれの心の中にある神様とつながるためのスイッチを

見つけて押すことができるようになるお手伝いになると確信した。

このブログを始めようと思ったのも、これがきっかけだった。

 

大事なことだからもう一度言っておきたいのだが、

僕は並木良和さんを勧めているわけではない。

僕にとってこのタイミングで知るべきことが、

並木さんを通して起こったというだけなのだ。

 

人は希求した答えに出会う瞬間が人生で何度かある。

ひとによっては、並木さん、あるいは別の誰かを通して。

あるいは、映画やテレビ、ラジオを通して。

誰かの著書やブログを通して。

賢者や聖人の言葉を通して。

自然や史跡を通して。

目に見えない掲示や心の声を通して。

 

もしかしたら、僕の言葉や存在も誰かの答えになるのかも知れない。

 

・・・

そして11月のある日、僕は友人のHくん、Yちゃん夫婦にも、

ここ一年くらいの間に僕に起こった話をした。

 

特にYちゃんには一種の霊感があり、僕の話をそういう視点で

聴いていてくれた。そして僕が話終わると、

おもむろに口を開いた。

 

Y「ふーん、いろいろあったんやね。で、いま何か気になることある?」

僕「そうやなぁ、気になるっていうか、最近感じることがあんねん。

  未来の自分をイメージした時に、なんかこう、

  大衆に崇め奉られているっていうか、

  称賛されているシーンが思い浮かぶねん。

  それはもう何十万、何百万っていう人から。

  それがどういう意味なのか?

  そんな風に扱われる自分はいったい何をするのか?

  それが気になっているかなぁ」

Y「わたし神様と話せるから、聴いてみようか?」

僕「えっ!??」

 

彼女は少しの間目をつむり、こう続けた。

 

Y「・・・うん。いま知っておいたほうがいい気がするわ。」

僕「そんなことできんの?」

Y「どう?聴く覚悟ある?」

僕「そりゃぁ・・・うん!知りたい!」

Y「じゃあ、聴いてみるな。」

 

そういうと彼女は目をつむりボソボソと小声で話し出した。

後で知ったのだが、彼女は話している相手は、

日本神話に伝わる造化三伸のひとりだそうだ。

僕は、神妙な面持ちで事が終わるのを待った。

夫のHくんは、僕と対照的に普段通りにこやかな顔ですましている。

 

Y「あぁ!」

僕「あっ、えっ!?なに??」

Y「あなた神様やって!ニニギノミコト!」

僕「ニ・ニ・ギ・ノ・ミ・コ・ト・・・?」

Y「ニニギノミコトは初めてやわ!よろしくお願いします。」

 

こうして、僕の神様ストーリーはいよいよ幕を開ける。