「君は神だ☆」と言われましても…

自分の中の神様スイッチ押すブログ

直感を生きたい人へ

みなさんこんばんは!

ニニギミノルです。

 

先日5月22日は、

並木良和さんの講演を聴いてきました。

どーしても、聴きたいことがあってね。

 

それで、

やっぱり!って

すごく納得して、安心して、満足して

帰ってきました。

 

それに、「ブログ見てます!」って

声をかけてくださった方もいらして。

うれしかったなー。

 

で、帰ってきて一発目の記事は、

きっとその話だろうなって思ってたけど、

ずっと頭のなかでこう言ってる。

『直感』について書けって

『直感を生きる』について書けって。

 

だから、

よくわからんけど書いてみる。

 

あっ、僕は書く時に、

音楽のセッションしてるような、

ライブ感で書いてます。

 

だから、内容ほとんど覚えてないの。

書いた後は達成感があるけど、

あとで思い出せないのがめっちゃ不便。

 

もしかして、

おんなじこと何回も書いてたら、

ごめんねー。

 

今日の記事は、

『直感で生きる』について、

分かってない僕が、

完全お任せ状態の超セッションライブでお届けしますね。

 

この間の並木さんの講演でも、

もっと高次の存在と繋がりたいって人が多かったと思う。

僕を含めて。

 

たとえば、ハイヤーセルフとか、

アセンデッドマスターとか、

大天使とか、

守護霊とか、

精霊とか。

 

その理由ってみんなそれぞれだと思うけど、

ざっくりいうと、

ガイドしてほしいんだと思う。

 

じゃあなんでガイドが必要かっていうと、

いま自分が間違った道を進んでいる、

もしくは、

これから自分が正しい道を進みたい、

からだと思う。

 

繋がっていない僕たちは、

いま巨大迷路の中にいる。

そして、その迷路の中で、

迷いに迷って辟易としている。

それが、繋がりを求める僕たちだ。

 

では、巨大迷路のなかにいて、

突然順路の書いた地図をもらったら、

僕たちは嬉しいのだろうか?

 

あるいは、

いま二人羽織の手役をしている。

目役の言葉が聴けず、

手の感覚だけで必死で一人前の

動きをしようとして辟易としている。

 

それが突然目役が抜けて、

一人羽織になったとしたら

そのなにを楽しめるのだろう?

 

もちろん、はやくゴールしたい人がいることは

知っているし、否定はしない。

 

ただ、僕は、僕個人としては、

そんな水を差すことはして欲しくない。

 

あるいは、

ああだこうだと口うるさく指導されるのも、

好みではない。

 

僕の場合の理想は、

二人羽織でいうところの、

目役の適切なアドバイスが、

僕の知りたいときに聴ける状態だと思う。

 

あるいは、

なんでも相談できる相棒とひとつの状態だ。

ジョジョとスタンドの関係に似ている。

 

ちなみに、

二人羽織の手役が、

この世界で行動することのできる僕たちだとして、

目役はハイヤーセルフ、

あるいはガイド、

そういう関係性だ。

 

彼らが知能、

僕らが実行役なのだ。

 

でも僕たちは、

目役の存在を信じないので、

手役の自分こそが頭脳だと錯覚して、

四苦八苦している。

 

『直感』を生きるとは、どういうことか。

それは、目役を信じることだ。

そして、目役を信じる手役の自分を信じることだ。

そして、『直感』その通り行動することだ。

 

ここで、ふたつの懸念がある。

ひとつめは、

『直感』がはっきりわからない、こと。

ふたつめは、

『直感』で失敗するのが怖い、こと。

 

『直感』は決して

耳元でささやいてくれるとは限らない。

ひとそれぞれ、

その時々で、感じ方が違う。

 

でも、『直感』を経験していない人は、

ひとりもいない。

なぜあの色を選んだのか、

なぜこのルートを選んだのか、

なぜあの進路を選択したのか、

なぜあそこに行ったのか、

なぜあの国に行ったのか、

なぜあの人を選んだのか。

 

よくよく考えたから『直感』じゃない!って

言い張る人もいるかもしれないが、

大体の場合ひとは、

『直感』が正しいことを証明するために、

思考を使う。

 

もし、『直感』を鍛えたければ、

自分がジョジョになったつもりで、

スタンドに聴けばいい。

「今から何をしようか?」

「何を飲もうか?」

「どっちの道でいく?」

「何着ていこうか?」

一日ずっと聴いていたら、

いったい何問トレーニングできることだろう。

 

ふたつめの『直感』で失敗するのが怖いという感覚。

それは、当たり前のことかもしれない。

でもここでいう、

「失敗」とは誰の定義だろう。

社会の定義なら、

さっさと捨ててしまったほうがいい。

本来の自分からズレていくだけだ。

 

自分の定義なら、

自分が自分だと思う自分が

二人羽織の手役だということを

思い出してほしい。

 

僕たちよりもはるかに立体的な視点と、

明晰な頭脳を持った目役が言っているのだ。

たとえ、今生では失敗と思えるようなことでも、

必ず自分の魂の前進にはつながっている。

 

そして最後に、

世界の偉人たちが同様に言っている格言がある。

「人は、やったことよりも、

やらなかったことに後悔する」

 

信じて動く。

みんなだれもが、

その道の途中にいるのだと思う。