「君は神だ☆」と言われましても…

自分の中の神様スイッチ押すブログ

お金について、地球特有の洗脳を考える。

こんばんは。

ニニギ ミノルです。

 

 

 昨日書いた内容が、1月4日未明のことなので、

約1か月の時差まで詰まってきました。

 

本題のこと以外にも書きたいことはいろいろあります。

 

例えば、

神様スイッチを見つけるのに役立つ映画や動画。

ネガティブな感情を手放すワーク。

 

あと、日常でふと気づいた(気づかされた)なるほど!なお話。

日常生活のなかで突然、

「なるほど!」って口に出してしまうくらい、

明快な答えを知らされることがあるんです。

 

時には、声に出して笑ってしまうような、

明快でユニークな答えもあります。

 

そんなことをシェアできるといいなと思います。

 

しかし、

あるスピリチュアルヒーラーの方もおっしゃってましたが、

そういうのっていきなり浮かんだり聞こえたりするんで、

忘れてしまうことがほとんどなんです。

 

書く以前の問題ですね。。。

 

では、本題。

 

 

この車の事故を、

猿田彦さまからの試練ととらえたものの、

いったい何を手放せばいいのか。

 

荒い運転をしたわけでもないし、

浮かれていたわけでもない。

 

この事故が起きた今、

僕がいちばん重くとらえているものは何か。

 

それは、やはりお金だ。

いろんな理由が重なっていまお金に余裕がない。

そんななかでこのイベントが起こった。

それは偶然ではなく、

なにかに気づくチャンスだという確信がある。

 

余裕がないところに、大きな出費。

すぐに考えたのは、

自分の時間を削ってお金を稼がないといけないということ。

 

きっと誰だってそう思うだろう。

でも、その当たり前をひとつひとつ疑問視しないといけない。

なぜなら、その当たり前こそ、

地球に長い間はびこる社会通念であり、

支配される側の被害者意識であり、

眠った観念なのだ

 

それをブレイクスルーしなければ、

人間を超えた神の意識になどなれるわけがない。

 

自分にはお金がないという欠落感。

それがゆえに自分の手でお金を手繰り寄せなければならない。

自分の時間と労力と引き換えに。

 

でも、神様もこんな感覚でいるだろうか?

神様でなくて、魂の僕でももっと自由なんじゃないだろうか?

決して魂の僕が大富豪だというのではなく、

少なくとも金銭的にもっと豊かな感覚なのではないだろうか。

 

お金もひとつのエネルギーに過ぎない。

エネルギーのもっとも理想的な状態は、

循環していることだと思う。

豊かな流れだと思う。

 

その流れのなかにいれば誰だってお金に自由でいられるのだ。

自分にはその流れが来ていないと思っているが、

もしかしたら流れから離れたのは僕のほうなんじゃないだろうか?

 

ほんとうは豊かに流れる川のそばに立っているのに、

川を背にしてその存在に気づいていないがために、

川から離れて必死で井戸を掘ろうとしているのではないか。

 

だとしたら、なぜ僕は離れてしまうのか。

不安や焦りや恐怖や罪悪感や無価値感だ。

そういう心の動揺によって、

冷静な霊性な判断力が麻痺してしまう。

 

じゃあその逆をすれば、離れないはずだ。

そういうものの逆とは何か。

地球と特有のネガティブな波動の逆はなんだと自分に問う。

 

それは、「豊かさ」だ。

「豊かな感情」だ。

「豊かな意識」だ。

 

車の修理がおわり、請求書を受け取るまで、

僕は徹底して、ネガティブを手放し、

豊かさのなかに生きるという人体実験をすると決めた。

 

 

「君は神だ」と言われてからの珍道中を描いたのがこのブログですが、

その前のエピソードをまとめたブログ『神様がくれたインド旅』も同時執筆中。