「君は神だ☆」と言われましても…

自分の中の神様スイッチ押すブログ

【閲覧注意】【長文】 ニニギミノル解体新書

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こんばんは!

ニニギミノルです。

 

今日は【長文のため閲覧注意】です。

 

「めっちゃ暇。」という時に、

読むくらいがちょうどいいかも。

 

僕の現在までを、ここに整理してみます。

 

なんでかっていうと、

令和になって、

遣わされるご神事も始まって、

いよいよスタートラインを切ったという感覚があるので、

もう一度ここで、

僕は何者で、

この人生で何をしようとしているのか、を明確にしたいんです。

 

そして、そのためにいま一番必要なことを、

自覚しておきたい。

 

そしておそらく、

そのためにこれから書く文章は、

僕だけのためじゃなく、

読む運命にあった「あなた」にも、

確実に意味のある内容だと思うんです。

 

だから、

なるべくマインドを介入せずに、

無心で書きます。

 

だから、

「めっちゃ暇。」っていう時、

期待せずに無心で読めるときに読むのが良い気がします。

 

 

僕に不思議なことがたまに起こるようになったけど、

家系には霊能者や寺社仏閣関係者、

あるいは熱心な宗教家という先祖の話は聞いたことがない。

まあいわゆる、突然変異型というやつだ。

 

でも、それはそれでしっくり来ている。

なんの血筋も縁もなく、

まったくのゼロから霊的な成長を遂げるという

難しい道をあえて選んだんだ。

僕の魂が考えそうなことだ。

 

幽霊やUFOを見たこともなければ、

現実主義者というわけでもない。

 

さいころから、

夢を聞かれると困った。

物心ついたころから、

なりたいものや、

就きたい職業が一度もなかった。

 

だから、ただ生きてきた。

自分に譲れない軸があるわけではないので、

親とか友人とかテレビとか、

そういう影響力の大きなものに

なびいて生きてきた。

 

親の希望だった「大学卒業」を果たし、

親の希望だった「サラリーマン」になり、

恋愛をして、結婚をして、子を授かった。

 

なびいて生きてきたが、

退屈とか、無気力とか、思っていたわけじゃない。

目の前の人生をそれなりに謳歌していた。

 

人生という道の上を闊歩している。

ただその道が自分で掴んだ道ではないだけだ。

そんな人生はきっと、この世に有り余るほどある。

 

でも、ずっと心の奥のほうには、

釈然としないなにかが居た。

そのなにかとの不一致は、

じょじょに溝を広げて、

やがて「はやく死にたい」と思うまでに至った。

 

まずはじめに、

順調だった仕事がうまくいかなくなり、退職した。

上司や会社風土のせいにしたが、

結局は自分の実力不足だった。

 

同僚も先輩も大勢が惜しんでくれたが、

会社のなかでの僕の存在意義を一番正確に測れるのは、

僕自身の達成感だ。

 

それから新天地で、妻と飲食店を始めた。

幸い繁盛したが、どこか満たされない気持ちは残ったままだ。

心の奥の例のなにかはまだ居て、

しかも日に日に影響力を強めていった。

 

店の繁盛と反比例して、

僕の元気は擦り減っていった。

周りからも、「疲れている」「笑顔が少ない」と

心配された。

 

妻との仲も日に日に悪化して、

ほとんど目も合わせないようになっていた。

 

それでも人前では笑顔を作って、

ひとりになるとくたびれてやさぐれた。

 

この人生の延長上に意味などあるのか?

人生を終わらせて、やり直したほうがいいのでは?

なんて、考えながら深夜帰路に着く毎日だった。

 

そんな生活を5年も続けたある夜、

店でひとりyoutubeを見ていたら、

自動再生でひとつの動画が再生された。

 

ONE OK LOCKの「Be the light」という曲だった。

3.11の追悼のために作られた曲らしく、

曲をバックに、震災の生生しい映像が次々に流れる。

 

当時、震災後にボランティアに行った記憶も重なり、

胸が苦しくなっていった。

 

最初はだれもが抱く震災への畏怖、

あるいは、被災者への哀れみ、

そういった一般的な感情だった。

 

ところが途中から、

まるで「自分のせいでそうなってしまった」かのような、

自責の念が僕の心を占領していた。

 

大粒の涙が流れ、

やがて嗚咽するほど泣き崩れた。

そして、曲が終わるころには、

天に向かってこう叫んでいた。

「助けてください・・・」

 

我に返って冷静になり、

この出来事を振り返った。

 

僕は自分の辛い現状を自分で認めることが、

ずっとずっとできなかった。

具体的にいうと、「自分のことで泣く」ことができなかった。

泣くという感情表現で、

自分の気持ちがデトックス出来ると思っていたのだ。

 

そして、この曲が引き金になって、

泣くことができた。

だからとてもスッキリした。

 

ただ、釈然としないのが自責の念だ。

なにも自分が震災を起こしたわけではないのに、

なぜ自分を責めるのか。

まったく理解が出来なかったが、

それでも自分が「3.11」という現実を造ったという、

漠然とした感覚はいまでもあり、納得もしている。

 

天に助けを求めたからなのかは定かではないが、

それから次々と救いの手が差し伸べられた。

 

我慢強く僕のそばを離れず居てくれた妻のサポートで、

あるヒーリングセッションを受けたのを皮切りに、

精神世界のことをどっぷり勉強した。

 

目の前の現実はすべて自分が造っていること、

魂が描いた人生の青写真どおりに生きていること、

過去世のカルマを形を変えて体験していること、

多次元世界と並行世界のこと。

 

これまでの自分の不遇な人生を理解するには、

じゅうぶんすぎるほど学んだ。

 

複雑に糸が絡まった大きな玉を少しずつほどいていくように、

ほんとに少しずつだが心の不穏が消えていった。

 

あとで聞いたことだが、

僕を心の平穏に導くことが、

妻の魂が決めてきたことのひとつだったらしい。

 

まだちゃんと恩返しできていないが、

妻への感謝は言葉にできないほど大きい。

 

 

こんな風に人生の転機が訪れた半年後に、

僕は頭に浮かんだメッセージを受けて、

インドの山奥に単身で向かうことになる。

 

年が変わって、

自分の魂のルーツを知り、

僕に必要なイニシエーション(洗礼)を受け、

まだ断片的ではあるが、

目に見えない存在からのお遣いを頼まれて、

ライトワークを始めるスタートラインに立っている。

 

今年は日本担当らしく、

年末まで富士や九州、沖縄を巡ることになっている。

 

ただ僕の場合、コンタクトがクリアではないので、

行く場所や日は知らされているが、

何をするのかまではわかっていなかったりする。

 

そんなときはつい焦ってしまい、

いろいろと調べたり、聞いたりと動いてしまう。

 

だが、高次の存在からのメッセージというのは、

いつも即時で、疑う余地もなくダイレクトに

心までアクセスしてくる。

そしてその内容は、その時の自分にとって

過不足なく完璧なのだ。

 

例えば、アセンデッドマスターや天使を呼んだりすると

よくわかる。

僕は感覚だけでとらえているのだが、

彼らを呼ぼうとして名前の頭文字を言いかけた時には、

もうそばにいる。

それくらい、速くてダイレクトで完璧なのだ。

 

だから、

わからない部分は自分で調べて埋めようなどと行動するのは、

完全なる蛇足だ。

いらぬお世話だ。

そのことをつい忘れてしまう。

 

自分で自分だと思っている自分は、

実は自分のほんの端っこでしかない。

ほんものの自分は、

この物質世界の自分ではなく、

ハイヤーセルフの上の上、

ディバインセルフとか言われるものなのだ。

 

サーフィンのように、

これだと思う波に乗っていれば、

必要なことはすべて起こる。

そのことを忘れないでいたい。

 

昔見た、海外ドラマの「24」で、

ジャックバウアーの娘キムというのが出てくる。

ジャックに任せておけばうまくいくところを、

キムがいらんことをして、

状況がより深刻になるという場面が何度も出てきた。

その当時、キムのことがとても嫌いだった。

 

そんな嫌悪感もキムを通して、

自分の心の中にある同じものを見ていたのかもしれない。

 

少し脱線したが、

とにかく波に乗っていればいいのだ。

うちの子が最近よくいうフレーズはこれだ。

「いい波のってんねー♪」

何かのゲームのセリフらしい。

 

知っていようがいまいが、

すべての人が自分の魂にとって、

かつワンネスにとって、

必要な体験を重ねている。

 

そして、

多くのライトワーカーが、

世界を、地球を、宇宙をより良い方向に進めるべく、

ライトワークを連綿と行っている。

 

今年の僕の場合は、

より良い形で天孫降臨を再現することだ。

それがその時にちゃんと起こるように、

日本神話の通りに国つくりや、岩戸開きや、国譲りが、

だれかによってなされているはずだ。

 

そんな大きな波に僕も乗って、

役目を果たし、次の役目へとバトンを渡す。

 

そして、

こんな風にブログでシェアすることで、

おなじようにライトワークする人が増えたらいい。

 

たくさんの仲間とともに、

透き通るような美しい海で、

希望に満ちた大きな波に乗って叫ぶんだ。

 

 

 

 

 

「いい波乗ってんねー♪♪」