「君は神だ☆」と言われましても…

自分の中の神様スイッチ押すブログ

この風景を美しいと思えたなら、それはもう神様ってことかも知れないね

今回は、まずこの風景写真を見てほしい。

毎年、店の前で見られる田園風景なのだが、

この日の雲と夕陽はとても印象的だった。

 

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あなたは、この写真を美しいと思うだろうか?

もしそうなら、あなたは覚りを得たのかもしれない。

 

そんな話を今日はしようと思う。

 

今日は初めて奈良県大神神社を参拝し、

三輪山を登拝した。

 

そもそも、今日のスケジュールを確定したのは、

昨日の夜なのだが、超弾丸ツアーをすることになった。

 

やりたいことは、3つあった。

大神神社参拝(兼奉納見学)と、三輪山登拝と、サムハラ神社(大阪)参拝だ。

 

移動時間を考慮するとかなり無理があった。

そもそも大神神社とサムハラ神社は、

別の日にするつもりだった。

 

ところが昨日の朝に、

明日はどっちにしたらいいかな?って

上に聞いてみたら、

「両立は可能」って返事がきてびっくり。

 

いやいや、

朝の子供の世話を妻に頼まれているので、

それは絶対無理!って思ったら、

 

「夜まで待ってなさい。

 妻のほうから、

朝の頼み事はなかったことにしてくるから。」的なお返事。

 

いやいや、いやいや、

そんなことあり得ないって!!

 

で、その夜にほんとにその通りになった。

 

これは上からのGOサインだから絶対行かなきゃ!

ってことで早朝からサムハラ神社を参拝し、

参拝時間10分で大神神社へ向かった。

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サムハラ神社のサムハラは、

ほんとうは漢字なんだけど、

難しすぎてカタカナ表記してるらしい。

 

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先週参拝した知人が、

「あそこのオーラはすごかった!」というので、

行ってみたのだが、

僕的にはそんなに迫力を感じなかった。

 

こういうのは、

その人によって違うんだと思う。

違っていいんだと思う。

 

過去性とか、

ご祭神とのご縁とかあるからね。

 

大神神社に着いて、

登拝口までたどり着いた時には、

次の拝殿での予定まで2時間。

 

 

 

登拝の所要時間は2~3時間なので、

ギリギリだ。

 

そこにきて、

登拝初心者には5分程度の説明があった。

撮影や飲食が禁止されていること、

三輪山のいかなるものも持ち出さないこと、

などの説明を聞き終わったら、

もう1時間40分しか残っていなかった。

 

登拝自体を諦めるか迷ったが、

上はGOと言っているっぽい。

 

ええい、もうどうにでもなれ!とばかりに、

山を登り始めた。

 

三輪山自体が参拝対象だから、

登拝口に入ったところから参拝が始まっている。」

この説明が、一番印象に残った。

 

なので、一歩踏み出すなり、

願い事や考え事をやめて、

ただ参拝対象のなかにいること、

参拝対象とひとつになること、

を心がけた。

 

時間が限られているため、

どうしても速足になる。

だが、初めての登拝道はペースが

わからない。

僕は10分もしないうちに、

息が上がり、苦しくなった。

 

脇で休もうかとも思ったのだが、

このご神体である三輪山とひとつになれたなら、

この僕の苦しいという意識は起こらないはずだ。

 

そう思いなおして、

苦しさも捨て、無心で登り続けた。

 

途中にある磐座や社も参拝し、

のどの渇きも、

大粒の汗も手放して、

いよいよ山頂に到着した。

 

山頂の社で手を合わした時、

三種の神器のひとつ、

鏡のことを思い出した。

 

神社ではよく鏡がご神体として祀られている。

「拝むその鏡に映るあなたこそが神なのだ。」

そういう意味がある。(詳しくはこの記事へ)

 

この三輪山の山頂に鏡はないが、

ご神体の頂きに自分が見ている景色は、

まさに神が見るそれと同じなのだ。

 

つまりここでも、

神と私は同じなのだと感じた。

 

その意味の持つ明るさ、

そのすがすがしさ、

その爽快感。

 

そこに来て、

登頂した思いがシンクロする。

僕は笑みが止まらなくなった。

 

そして、登りの疲れも消えて、

僕は笑顔のまま、

ご神体に吹き降ろす疾風のように、

下山した。

 

所要時間、1時間10分。

初登拝なので当たり前だが、

自己新記録達成である。

 

思いのほか早く終わったため、

拝殿で見学したいイベントまで、

30分のゆとりができた。

 

欲まみれの僕の悪いところが、

ここで出た。

 

つい、神社前の茶店三輪そうめん

食べたくなったのだ。

 

美味しい三輪そうめんの代償として、

僕は今日もっとも優先順位の高かったイベントに

遅刻して参列することができなかった。

 

僕が覚りを開くのは、

まだずいぶん先になりそうだ。

 

 

ところで、最初の写真に戻ろう。

あの風景写真の美しさの特徴は何だろうか?

 

それは、まぎれもなく空と水田の対照だ。

空が欠けてもいけない。

水面が欠けてもいけない。

 

そのふたつが同じであることによって、

美しさが極まる。

 

それはつまり、

神と我、そのふたつもまさに同じなのである。